5月31日でGoogleフォトの容量無制限が終了

今日6月1日からGoogleフォトの容量無制限が終了となるので、昨日の5月31日は、手持ちのHDD/SSDやパソコンの写真のデータを探して、Googleフォトにアップロードした。

既にしばらく前に写真のデータを整理してアップロードしていたので、未了のデータはあまり見つからなかった。

今日からは、容量無制限ではないが、今まで通り、iPhoneの写真は自動的にGoogleフォトにアップロードする。しかし、残り10Gほどなのでこれがいつまでもつか考えてみると、iPhoneで撮った写真は大抵2〜3 MBなので、平均2.5MBで考えてみると、4000枚がアップロードできることになる。週20枚撮るとして、200週は無料でアップロードできる。これから4年程度は、同じように使えるということだ。

この間に次をどうするかを考えなければいけない。Googleフォトの、写真の整理や一覧のインターフェイスに慣れているので、Googleフォトをそのまま使い続けるのであれば、GoogleOneの契約をして月に250円払えば、100Gまで使えるから、当分大丈夫と言うことになる。

Amazon Prime会員なのでAmazon Photosに保存すると言う方法もあるが、使い勝手が慣れていないせいか、あまり良い印象がない。とは言え無料で使えると言うメリットもあるので選択の候補としては充分。

しかし、本当の問題は、iPhoneの日々の記録のような写真ではなく、カメラで撮ったRAWデータをどこに保存するかだ。今までの写真をGoogleフォトにアップロードしながら思いついた。GoogleフォトにアップロードするとRAWデータはjpegに書き換えられしまう。今までは、RAWデータを含む写真のデータは、HDD二台に同じデータを保存している。手動のRAID機能みたいなものだ。

現時点では、HDDとSSDが2セットあり、それぞれ2Tなので、データ容量としては4Tと言うことになる。4、5年で新しいものを購入して、データを移している。同時にDVDにも保存してきたが、それはもう面倒になった。第一、DVDの耐用期間はそう長くない。

同じような写真をたくさん撮っているので、整理をすれば3Tぐらいに減らせるかもしれない。これの保存をどうするか。Amazon Photosであれば、RAWデータも保存できるので、これを使うと言う方法も考えられる。ただ、さっきも書いたように、Googleフォトほどは使ってこなかったので使い方に慣れていなくて、整理の仕方がよくわからない。分からないということはインターフェイスが良くないということだ。

イメージとしては、今は無料で使っているDropboxやiCloudがHDDのようなインターフェイスで慣れているから使いやすい。Dropboxを有料にアップグレードして、月1200円で2T。Appleのデバイスが多いのでiCloudの候補となり、2T が月1300円なので、Dropboxとあまり差もない。

ただし今後増えていく写真も考えると、2Tでは少ない。今の手動RAIDのHDDとSSDをに加えて、RAID機能のあるNASに追加すると言うことも選択肢だ。以前より検討しているSynologyのNASにハードディスクを加えて70,000円弱。これは4TのHDDのセットになる。撮ってきた写真を全てNASに保存しつつ、本当に残したいものだけ、無料のAmazon Photosか、有料のDropboxやiCloudに残していくということが最良の方法の気がしてきた。ただ問題はどれが本当に残したい写真なのかが分かるかと言うことだ。

今までの写真はすべて、JPEGの形式だがGoogleフォトに保存が終了したので、RAWデータをどうするかを近日中に決めたいと思う。

そんなことを考えながら、少し連載の原稿書いたりして5月31日は過ぎていた。夕方になってFacebookのタイムラインを久々に見てみると、友人が、この日は2002年のFIFAワールドカップの共催決定から25周年と言うことを書いていた。それで一気に、25年前のチューリヒに気持ちが飛んでいった。

その朝早く、山の中腹にある、当時のFIFAの本部に、亡くなった長沼会長と鈴木さんと3人で、FIFAからの手紙を受け取りに行った。良い天気で心地よい朝だった。当時の私にとって、共催が決まると言う事は負けを意味していた。6月1日に単独開催が決まると言う前提で様々な準備を進めている中での出来事だった。それ以前か嫌な情報が入ってきたり、少しは怪しい雰囲気はあった。

だが、その前日5月30日にかかってきたブラッターの電話で全てが変わった。その時、ホテルの本部となっていた事務所にいたのは私ともう1人で、電話を取ったのは私だった。電話の主はブラッター本人で、岡野さんを要求した。電話の内容は、韓国は共催を受け入れる文章を発表しているので、日本も同様に共催を受け入れる文書を出してほしいということだった。後から、電話の要求だけで、その共催を受け入れるという文書を出すことができないと言うことになって、翌朝、会長と3人でブラッターからの要請の手紙を受け取りに行ったと言うことだ。

5月30日の午後から、5月31日にかけていろんなことがあり、全てが変わってしまった。25年も経つと、細かなことを忘れても、ブラッターの電話の声と、31日の早朝のチューリッヒの山の中腹の朝の光はよく覚えている。