「マン・レイと女性たち」展

家族が、マン・レイ展に行くと言うので、どうしても行きたいわけではなかったが、ついていった。その展示は、東急文化村で開催されている「マン・レイと女性たち」と題された展示だ。

結論から言うと、行ってよかった。マン・レイは写真の分野でも多くの有名な作品を残しているが、写真家である前にアーティストである。知っていたが、東急文化村の展示で多くの作品を見て、それがよく理解できた。もちろん今回の展示は、マン・レイとその周辺の女性に焦点を当てた展示で、彼の作品の全体像を見せているわけではない。だから、全体を見るためにはもう少し別の展示を見る必要があると感じた。

写真家と言う面でも、レイヨグラフやソラリゼーションと言う手法を使った写真で有名だし、また女性をモデルの様々なセットアップの写真が20世紀のイメージを形作るほどの写真家である。

ファッション誌の写真も初めて見たが、端正といえばよいのかもしれないが、正統的なファッション写真だ。しかし、それらの有名な写真ではなく、特に会場の入り口付近にある7、8点のセルフポートレートすごく惹かれた。写真としての構成やライティングが写真家の写真を感じさせる。マン・レイの写真というイメージが、女性のセットアップ写真で出来上がっていたので、普通の写真という意味で、個人的な好みだった。

写真は、当時のヴィンテージと「後刷」と書かれていた2種類があった。「後刷」とはなんだろうか?単純に、最近のプリントだろうか?そして、その両者のトーンの違いに少し戸惑った。意図的なものなのか、低いコントラストのヴィンテージは、かつてはコントラストが高かったが、退色でトーンが低くなったのだろうか?マン・レイが自身でプリントしないまでも、承認したのはどちらのトーンだったのだろうか。

あまりにもたくさんの作品があったが、特に印象に残っているのは、初期の「イジドール・デュカスの謎」と題されたオブジェクトの作品と、それを写した写真の作品だ。特に写真の作品の、上から光があたった輪郭がはっきりしない部分と布の手触りが感じられる部分の共存がよかった。

そのオブジェクトは、油彩でも描かれているし、晩年のリトグラフにも登場する。会場で説明されていたマン・レイの謎と言う説明書きには、最後のリトグラフにはオブジェクトを縛っている紐が消えていることについての言及があった。そこに、どのような意図があったのか、その不思議に興味を惹かれた。

あまりにも有名なアーティストなので、なんとなく知った気でいたが、作品のほんの1部が、展示されただけで、その情熱の一端を伺いしれた事は良かった。