災害は忘れた頃に

新型コロナウィルス感染症の新規患者数が、少しおさまってきたと思ったら、大きな地震があった。宮城県で震度6強だから、大きな地震と言っていいだろう。東京でも震度4で、しかも長い間揺れたので、少し怖い思いをした。

2011年の東日本大震災から今年で10年だ。あの時のことを思い出して、揺れている間にどうなるかと思った。

10年前のあの日に、会社で大きな揺れを経験した後、娘の学校から電話かかってきた。クラブ活動で学校いる娘を迎えに来てほしいということだった。今となっては、その時の学校の判断もどうかと思う。帰宅途中に、さらに大きな地震が起こったかもしれないからだ。

しかし、その時点では、そんな事も考えず、娘を学校に迎えに行った。それは夕方の4時ごろであったと思うが、地下鉄が止まっているし、もちろんタクシーが拾えない。新橋から九段まで歩いて行くと、たくさんの人が既に歩いていた。その時は、まだ明るかったので、遠くまで歩いている人がたくさん見渡せた。

霞が関から皇居に出て、英国大使館の前を通って、九段までつくと、すでに薄暗くなり始めていた。学校で、娘と近所に住む娘の友人一人を連れて家に向かった。家族と連絡がつかなかった何人かは、そのまま学校に泊まったと後から聞いた。地震のリスクを考えると、それが正しい対応だったと思う。ただ、学校は、大人数では対応できなかったのかもしれない。

学校を出て新宿方向に向かって歩くと、たくさんの人が歩いている。歩道を歩くのも大変なほどの人通りだった。途中のコンビニにはものがなくなり、飲み物などを買うのも難しい状況だった。かなり歩いたので、四谷三丁目の手前のモスバーガーが開いていたので、少し休憩をする。当時、高校生の2人は元気だが、その頃の私は運動不足ですぐに疲れていた。

休憩した後、西に向かう人のあまりの多さに新宿の混雑を予想した。それで四谷三丁目から、少し南下して代々木方面に向かう。この新宿を回避した判断は良かったと思う。後で、ニュースで見ると新宿周辺は大混雑していた。

代々木から、西に向かい、最終的に幡ヶ谷で甲州街道に戻った。その頃にはすでに午後10時ごろだったろうか。笹塚に着く手前に開いているラーメン屋があったので、2人と一緒に夕食を食べた。

家に着いたのは、11時を過ぎだった。途中で2回休んだことや、人通りが多くて普通に歩けないことを考えるとかなり早く帰れたと思う。

夕方同じように電話を受けた家内は、電車が止まっているので車で九段に向かっていた。携帯電話がまるでつながらなくなっていたので、そのことを、知ったのは後からだ。彼女が家に帰るまで何が起こっているのか分からなかった。ただ車もないので、迎えに出ている想像していた。

家内は、かなり早い時間に都心に車で向かったので、まだ上りは空いていたために、かなりの距離を走って渋滞に巻き込まれた。諦めて自宅に戻ろうとしたが、上りも下りも渋滞で全く動かず、自宅に帰れたのは1時を過ぎていた。

家内が帰ってきたのは、私たち3人が自宅に帰り、2人をお風呂に入れて、寝かした後だった。それで、いきさつを知ることになる。

この時の携帯電話がつながらないことが、後にLINEが誕生するきっかけになったそうだ。我が家では、この時点では、災害に備えて家族3人でTwitterアカウントを作り、緊急時にはTwitterで連絡を取ることにした。また災害時の待ち合わせ場所として近所の小学校を決めた。

この時は、さらに地震の後から、福島の原子力発電所の問題で不安な日々を過ごすことになる。だからよく家族でも災害時には何をするとか、災害に備えて緊急避難のための備品を揃えた。

「天災は忘れた頃にやってくる」と言ったのは寺田寅彦だが、実際10年も経つとその時の事は忘れてきている。今では、あまり次に災害が来たらどうするとかそういうことを話さなくなった。10年経ってまさに忘れ始めていると言うことだ。

今回の新型コロナウィルス感染症も同じだ。2003年のSARSのときには、たまたま中国へ出張することになり、消毒液の匂いのする街や建物を間近で見て、感染症の怖さを実感した。ただ、まだ他人事だった。普段は、感染症のことなどあまり考えたことがなかった。

その頃にドイツによく出張して、ドイツ人の同僚が当時は珍しかったアルコール消毒液を携帯して、時々手に刷り込んでいるのを見ていた。それも単に神経質な人だと思っただけで、パンデミックを引き起こすような感染症の対策になると言うようなことも考えなかった。それ以前に、パンデミックが起こるような事態が発生すると思わなかった。21世紀の医学を盲信していたわけだ。

その後MARSがあったりしたが、大きな出来事にも発展せず、感染症の事は完全に忘れてしまった。

普通に生活していたので、普段の手洗いは普通にしか行っていない。今は外出中や帰宅後も機会があれば必ず石鹸で手を洗う。アルコール消毒も行う。どこかに新型コロナウィルスが潜んでいないか、いつも注意して、外ではなるべくものに触らないようにしている。このように気をつけることが、感染症の拡大を防ぐわけだが、この習慣も今のコロナ禍が収束した後はいつまで続くのだろうか。何年かすれば完全に忘れて元の生活に戻るような気がする。

しかし地震が急にやってくるように、感染症を引き起こすウィルスも常に突然変異を続け、いつかまた人類にパンデミックを引き起こす事は確実だ。問題は、地震と同じように、それが、何年後か何十年後か何百年後かと言うことだろう。