カズオ・イシグロ「わたしたちが孤児だったころ」

年をとると、ちょっとしたきっかけで過去の出来事を思い出す。まるで過去しかないようだ。それは、人生にやり直しはないし、過去は変えられないからだろう。

考えて見れば人生を考えるときには基本的には過去しかない。未来はあまりにも遠く感じられ身近には思えない。生来の楽観性のためかあまり真剣には考えない。自分の生きているということを考えると現時点の過去の集積が自分の人生になっている。未来や現在まで含めて、総体的に捉えるような頭の良さというか、想像力が自分には欠けているようだ。

未来はおぼろで、現在は見る間に過去に変わっていく。時間は過去に流されるかのか、自分の中に澱のように沈澱していく。そんな意味で自分には人生は過去の集積の様に感じる。

「When We Were Orphans 」は、そんな過去の話だ。20世紀の初めに上海に生まれたイギリス人の回想になっている。随分昔に「Never let me go」を読んで以来の Kazuo Ishiguroはほとんど読んできた。だが、この作品はまだだった。そして、忙しかったせいか、最近の2作はまだ読んでいない。

「When We Were Orphans 」は、読み始めたものの、雑な探偵小説のパロディのような感じがして、あまりに稚拙な穴だらけのストーリー展開と現実感のない描写にイライラしながら読み進んだ。大作家の作品を稚拙というのも尊大な感じだが、本当にそう感じたのだ。

そして最後の種明かしで、その粗と感じたことこそが、登場人物を説明するためのKazuo Ishiguroの技だった。タイトルにもなっている「わたしたちが孤児だったころ」とは、現実に主人公は孤児だし、孤児も登場するが、最後の方の主人公の独白

But for those like us, our fate is to face the world as orphans, chasing through long years the shadows of vanished parents. There is nothing for it but to try and see through our missions to the end, as best we can, for until we do so, we will be permitted no calm.

 から採られている。というより、この文章を書くために小説が書かれたといっても良いと思う。ここに書かれているのは、消えた両親の影を追い求め、穏やかな気持ちになることはないということだが、この両親は、自分の前にある、他のすべてのことに当てはまる。私たちは、両親を求める孤児のようにこの世の中に生きているということだ。

この小説の登場人物は、孤児であろうとなかろうと、すべての人が何かを追い求めている。そして、この小説の中では何も実現することなく終わっている。その意味で、この小説は喪失の物語である。両親を、愛を、故郷を、子供を、自己を、理想を、存在意義を失くした人の物語である。

小説の始めに感じた粗さは、この小説家の意図であり、この主人公の存在のはかなさや脆さを表現していると感じたのは最後の最後になってからだ。 Kazuo Ishiguroという小説家は、小説という形式を手玉にとってこの小説を書いたといえる。だから、一度読んだだけでは、この小説の小説としての面白さは味わえないのかもしれない。

イギリス人の英語は、アメリカのミステリーと比べると文章が複雑なのと単語が難しいので好きではないのだが、Kazuo Ishiguroの文章は読みやすく感じる。