しまなみ海道を通って芸予要塞

広島から高速バスを利用して今治まで。途中のしまなみ海道は曇っていたが、きれいな海が見ることができた。実はしまなみ街道を通るのは、初めての経験だった。読んでいた本が面白くて景色をかなり見過ごしたようなので、帰りはしっかり外を見ようと思っている。

バスは案外早くて2時間半で今治に着く。残念なことに、1日に3便しか出ないので選択肢はあまりない。乗ったのは、午前8時10分に広島駅を出発するバス。途中の八幡パーキングエリアで20分ほど休憩をする。新型コロナウィルス新規感染者が増えているせいか、あるいはGoToトラベルが停止したせいか、乗客は少ない。

改札でカードが使えなくて驚く

初めて足を踏み入れる今治は、特に特徴もない、他の多くの日本の街と同じような雰囲気だ。バスから降りて、荷物をコインロッカーに預けると、目的地の1つの小島に向かう。ここで少し驚いたのは、交通カードで予讃線に乗車しようと改札口に行くが、カードをタッチする場所がないことだ。窓口の駅員に聞くと紙の切符以外の方法がないと言うことだった。電車の時間が迫っていたので、慌ててきっぷ販売機に行きチケットを購入する。何とか1時間に1本しかない電車に間に合って、隣の波止浜駅まで。

波止浜駅

ウィキペディアによると、予讃線が通った1924年には、波止浜には塩田開発で儲けた富豪がたくさん住んでいたために、今治から大西へのルートが北へ遠回りすることになったそうだ。

駅から20分ほど歩いて、目的地の小島に向かう定期船に乗ろうとするが、船は出たばかりで1時間ほど間が空いてしまった。仕方なく船着場のそばの波止浜公園まで登るが、頂上からの眺めは木に遮られて、よく見えない。

残念な気持ちで、その小山を降りた。途中には空き家がたくさんあり人口の減少が実感される。坂道の途中には、古いアパートが建っていて、新来島ドックで働く人の住居になっているようだ。ちょうど、お昼時と言うこともあり、中国語を話すたくさんの人が、アパートに帰っていくのとすれ違った。

時間つぶしのために、周辺を歩きまわるが、確かに豪邸が立ち並んでいる。廃屋になった家も多く、取り壊されて蔵だけが残っている空き地をいくつも見かけた。

来島海峡にある小島

ようやく時間になり、10分の船旅で小島に着く。日露戦争に備えて日本の防衛のために築かれた要塞の遺跡を見るために来たのだ。その芸予要塞は、1902年に完成したが、艦船や航空機の発達により、存在意義を失い、1924年に廃止されている。また1920年には要塞にあった大砲は、日露戦争の際の旅順攻略のために移送され、そこで使われたということだった。

そのような経緯で、幸せなことに実際に機能した事は無い。残された建築物はほぼ当時のまま残されている。レンガ造りの要塞の跡地は、「天空の城ラピュタ」を思わせると言うことで、観光客に人気があると言う話だった。

私が行った昨日は、波止浜の船に乗ったのは私と釣り人と小島に住む女性の3人。2人とも私と一緒に小島で船を降りた。その住民の女性には、イノシシが出るかもしれないから、途中で棒を拾って持っていくように勧められた。そんなことだから、小島の船着場から要塞を見て回る間も、誰もいない。一人で要塞の跡地にいるのも、雰囲気があって良かった。

芸予要塞

要塞の遺跡は島に分散して残っており、砲台、発電所、弾薬庫などの施設を見る。海からの攻撃を避けるために、山を掘って低い場所に作られているから、赤レンガ色の施設の場所からは、海が見えない。

中央司令塔が建てられていたが、今は土台を残して何も残っていない。ただその場所は島の1番高いところにあり、しまなみ海道の吊り橋や瀬戸内海がよく見える場所だった。その展望台のような場所から瀬戸内海を見るのが目的だった。しかし、残念なことに、そこに到着して10分も経たないうちに、小雨が降り始めたために、予定よりも早く山降りた。

要塞をつなぐ道は、椿ロードと呼ばれて、椿の季節には花が綺麗だそうだ。今は紅葉の紅葉が美しく、曇り空の下でも木に残った葉と落ち葉が森の中を暖かい色に染めている。

小島の住民は、ウィキペディアによれば33人と言うことだが、要塞に向かう波止場近くの集落は、空き家が目立ち。一緒に船を降りた女性も含めて、集落には人影がなかった。帰りの船を待つ間見かけたのは、一緒に船を降りた釣り人が遠くの防波堤の先で釣りをする姿だけだった。