デジタルのライカ

ついにデジタルのライカを買ってしまったのは6か月ほど前になる。最初から分かっていたが残念なことにあまり出番はない。主にフィルムカメラを使って、ちょっとした写真はiPhoneで撮るからだ。

それが何故、デジタルのライカを買ってしまったかというと、認めてしまうとひとえに物欲ということになる。単純に欲しかっただけだ。M8, M9, Mといくつも機種が出てきたが、その都度、踏みとどまってきた。それがついに買ってしまったのは、一つは定年という節目、もう一つは実はこちらが大きいのだが、軍艦部のライカのエングレイブだ。最初に買ったのが、M6ということもあり、他の機種とは違うツルッとした味気ない軍艦部が嫌いだった。それが、デジタルに引き継がれていたので、メインはフィルムということもありライカの機種はフィルムで増えていった、元々、欲しかったM3, それもシングルストロークとダブルストロークで2台、M4, M5 それからCL, さらにはバルナックIIIfと続く。でもデジタルは踏みとどまっていた。それは、デジタルはニコンとオリンパスの一眼とか、シグマと富士のAPS-Cサイズ映像素子のコンパクトサイズとかを使ってさらにiPhoneのカメラの画質が良くなってブログ程度ならどれでも良くて、作品はすべてフィルムだったからだ。

たまたまレンズを見に行った新宿のMap CameraでLeica M-Pを見かけて気になりだし、どうせ買うなら銀座のライカショップかなということで銀座にも行ったが結局買ったのは海外通販だった。

安さに転んだということなのだが、日本では安い方の新宿のMap Cameraよりも十数万円も節約になるのであればと考えてしまうのは当然だ。最終的には税金を払ったのでその差は少し狭まっている。

買ったのは、ウィーンのLeica Shop。価格は写真用品を買っているところと、そうは変わらなかったが、その時点ではユーロで買う方がややお得だった。価格から考えて国内で払わなければいけない個人消費の場合には海外小売価格の60%が課税対象額でこれに対して税金だが、Leica Shopは販売金額を安く書いてきてくれたので税金は35,000程度で済んだ。

しかし、今の円高で10万円ほども安くなるのは仕方がないが、Leica Shopでは当時の価格6,800ユーロが今はなぜか5350ユーロまで価格が下がっているから二重に残念だ。当時よりも30万円ほども安いのは残念を通り越してショックでもある。しかも購入後、ほとんど使っていないとなるとなおさらだ。

ということでこのブログの開始もありもっと使っていこうと考えている。

写真は近所で撮影。Leica M-P + Summilux 35mm

蜂蜜とブラックスワン

大病を患った友人から免疫についての本のコピーをもらった。その本を手本にして病気がぶり返さないように免疫に気をつけて生活しているそうだ。参考 にということでいただいたので読んでみた。健康法にはきっと色々な理論や考えがあるのだろうが、この本では魚、野菜、木の子をたくさん食べて塩分はさける ということのようだ。個人的には理にかなった食習慣だと思うので可能なことは取り入れようと思った。

その中で一つ気になったのは、蜂蜜を免疫を高める食品として勧めていたこと。ずっと前に蜂蜜は砂糖と同じで何の栄養もないと読んだことがあり、ずっと蜂蜜を避けてきた。アイスクリームや砂糖は エンプティ・カロリーという言い方をするが、同じようにカロリーは高いが何の栄養素も含まれていない空っぽの食品と理解してきたのだ。

それ が、今回、免疫を高める物質が含まれていると紹介されて信じる気になったのは、きっとナシム・ニコラス・タレブの「ブラックスワン」の影響だ。その本の中で、何かがないことを証明するのは大変難しいという例として、かつては母乳には何も有益な物質は含まれていないと言われ、多くの人は母乳ではなく粉ミルクに換えたり、食物繊 維は何の働きもしないと言われ、重要視されてこなかったことが語られる。その食品のメリットの証明はできても、メリットの不在の証明は難しいのだそうだ。 だから何の効用のないと思われた母乳や食物繊維は重要な効能があることは後から分かってきた。

もちろんタレブは健康食品の話を書いた訳では なくて、歴史上にはかつて経験したことことがないような出来事や想像もできなかった現象が起こりえて、特に株価やあるサービスや本と言った社会的現象に起 こる不確実性について書いた。その例はたとえばキリスト教の爆発的な普及やグーグルの成功などだ。それを彼はブラックスワンと呼んだのだが、不確実性の予 測の際に、今まで無かったからとか、理論的に不在が証明できるからとかの理由でブラックスワン的なことが存在しえないということは間違っているということ を主張したのだ。何かが無いと断言することは、何かがあると断言するよりずっと困難なことだそうだ。

彼の主張のように蜂蜜に有用な物質が含 まれていないという証明は難しいということから、今まで空っぽのカロリーと思っていた蜂蜜を、このところ朝ごはんのパンにつけて食べている。本の重要なポ イントではなく、その不確実性の主張の説明のためのたとえ話に影響されて、あっさり宗旨替えというのも、ポイントを外しまくる自分らしいなと納得。今はスプーンに一杯だが毎朝食べている。だからと言って健康になった感じまはまだまったくない。

新宿百景

久しぶりの休日なので雨が降りそうな中、下北沢から代官山まで自転車で写真集を見に出かけた。下北ではほん吉とビビビ、代官山はTサイトである。代官山の蔦屋の写真集の在庫は素晴らしく新刊から名作までなんでもある。というのは言い過ぎで写真集は少ロットで多種が発行されているから全て集めるいうことは不可能だ。

下北でも代官山でもこれはというようなものが手ぶらでライカショップに入ったら、「新宿百景」が山積みになっていた。代官山のこの店にもわずかに中古のカメラとレンズが売られているので癖のようにいつも吸い込まれてしまうのだ。と言ってもここでまだ買ったことはない。

お店の人に言って一部いただいて早速、読み始める。チェキで撮った写真は大きく引き伸ばされて良い雰囲気だ。写真はこうでなければならない。綺麗に写るのだったら自分の目の方が確かだ。レンズと化学物質で違う世界観が提示されてこそ写真と感じる。

このタブロイド新聞型の小冊子は、BEAMSが制作してBEAMSの新宿で配布されていたのは知っていたが、時間がなくて行けなかったので代官山でついでにもらえてラッキーだった。

森山大道さんは知っているが、他のお二人は知らない人だが全体的に雰囲気は統一されている。

ジャパンラグビートップリーグ開幕

2016-2017シーズンのジャパンラグビートップリーグが8月26日金曜日に開幕した。初日から4連覇を目指すパナソニックがヤマハに敗れる波乱があった。五郎丸選手が今年からフランスに移籍したが昨年も最後までいい戦いをしていたヤマハが3点差で勝った。最近は息子ばかりが話題になっていた清宮監督もシーズンに入って本業で話題になっていくのであろう。

昨年のラグビーワールドカップの日本代表の大活躍によりラグビーにも3年後に迫ったラグビーワールドカップにも注目が集まっているが、今年のトップリーグは昨年のラグビーワールドカップ・イングランド大会で大活躍した各国の代表選手も数多く参戦しているし、日本人選手もスーパーラグビーで技を磨いてきているので楽しみだ。

昨日は雨にもかかわらず秩父宮ラグビー場で行われた2試合には多くのファンが駆けつけて各チームの初戦に声援を送っていた。

ラグビーは90年代初めまでは野球に次ぐスポーツで人気が高かったが、93年のJリーグの開幕やラグビーワールドカップ1995南アフリカ大会でのオールブラックス戦の大敗など幾つかの要因があったのか、2015年の南アフリカ戦勝利の「ブライトンの衝撃」まで話題を欠いて日が当たって来なかった。それがあの3勝をあげる大活躍以来、スーパーラグビー参戦や7人制男子のリオオリンピックでのニュージーランドやフランス相手の勝利で4位入賞とずいぶん話題になってきた。スポーツでもなんでもそうだが、何か一辺倒というのは健全ではない。オリンピックが終わってこれからパラリンピック、野球も終盤に入り、サッカーもFIFAワールドカップの最終予選も含めて話題になるというのが成熟した社会のあり方だと思う。もちろん全てを楽しまなくても行きたいものだけ行くというのが良いのだ。

「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」

藤原新也と言えば私の世代だとシルクロードだ。そんな写真を見て初めて写真というものを意識した。シルクロード、メメントモリ、東 京漂流みんな好きだった。そんな意味で写真の力を知ったのは多分、藤原新也だ。特に普通のサラリーマンとしては、シルクロードがきっかけ起こったあの事件はある意味衝 撃だった。誰かに強い誰かに頭を下げ続けなくても生きていけるほど自由になれる可能性は藤原新也が教えてくれた。でもできなかったけれど・・・あのシリーズで人間は死んだら犬に食われるほど自由だと教えてくれたのだ。 「ヒト食えば、鐘が鳴るなり法隆寺。」今でもよく思い出す。理解はしたけど勇気がなくて実行ができなかったのは写真の力ではなくて自分のせいだ。

十数編の短編からなる本書は、冒頭の「尾瀬に死す」ら終編の「夏のかたみ」まで人間の生きると行くことを見つめた小説だ。芸大をやめて油絵を捨ててカメラを 持ってインドにいったいきさつをよくは知らないのだが、この短編集のどの作品にあるような生きるということを考えたのだろう。小説を書く写真家と言えば、 藤原新也でありちょっと若いと小林紀晴だが、このふたりはどこがちがっている。才能があり、精神的は自由をもっているということなのかもしれない。才能も なくいつも何かの奴隷のような私など想像もできない精神世界があるのだろう。

「死というものが人の命を捕えるのではなく、人の命が死を捕えるのだと」というのは登場人物のせりふだが、、よくは理解できないのだがなんとなく感じはする。忘れないようにしたい言葉だ。

それから、この本でしったニコラ・ド・スタールを今朝からネットで検索してみていたのだが、とても好きな絵だ。この画家を知ったことがおまけの喜びだ。もう少し資料を集めてたくさんにみたい。国立西洋美術館に所蔵されている絵があるそうなので近日中に行ってみたいものだ。

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気温21度

Sapporo札幌の2日目。最低気温は15度のようだが、朝食を済ませて外に出るとビルの温度表示が21度になっている。東京の毎日の暑さと湿度を考えると天国の様だ。

今日は夕方まで仕事をして夕方の飛行機で暑い東京に戻る。

大通り公園

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到着時に小雨が降ったものの、午後には晴れる。明日は雨らしいので、貴重な晴れの午後だった。

用を済ませてホテルにチェックイン。風呂を済ませて、夕方の待ちに出たが、綺麗な斜光だが、出がけに急いでレンズフードを忘れたことが悔やまれる。

会食の前に軽くビールと刺身で一息入れて、大通り公園で休憩中。夜風が心地良い。東京の湿気と大違いだ。そろそろ、店に向かわねば。

写真は、iPhone 6s

快晴の東京

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台風が11年ぶりに関東に直接上陸したりと、しばらく雨空の東京だったが、今日は朝から快晴。朝の散歩も快適だった。この時間には、少し雲も出てきたが、早い時間は眩しい群青色の空だった。

今日から北に向かって旅行。持って行くカメラを最後まで悩んだが、今回はデジタルのみにした。

「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」

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早稲田の探検部の角幡 唯介さんのノンフィクション。氏はこの作品で、第8回(2010年) 開高健ノンフィクション賞と第42回(2011年)大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞。この本の内容からして、ノンフィクションの両賞を受賞したの も当たり前という秘境の大冒険物語。

友人から聞いたNHKの番組、「天空の一本道~秘境・チベット開山大運搬~」 のことを調べていて、ツアンポー峡谷のことに辿り着いた。興味がわいて、中国インド国境の、このチベットの渓谷の話がおもしろそうで、この本を読んだのだ が、命をかけた冒険というのはこういうことなのだろうと思った。著者は何度か冒険の挑むことの意味を書いている。彼以前にも多くの人がいた。彼の体験とそ のいきさつを読んでいて、こういう命がけの冒険に挑みたくなる気持ちが少しだけ分かったような気がする。気がするという部分が重要で、この本に出てくる命 がけの部分はとても無理で、冒険の結果として彼が到達した気持ちが少しだけ羨ましく、少しだけ想像できるという意味だ。

100年近い時間を かけて多くの冒険家が、この地域に挑み、それでもまだ未踏の空白のエリアが残っていたというのは驚きだった。エベレストのてっぺんから南極北極の極点ま で、人類が到達していない場所が残されていたとは知らなかった。 角幡氏はまさに命をかけてこの地域に挑んだのだ。その冒険の様子が詳しく、その時の状況や気持ちも含めて書き込まれている。

おもしろかった のは、2001年ころにはまだ未開の村落だった場所に、2008年になると携帯電話網が完備し、それまでは郵便もなさそうな村がいきなり北京や東京と同じ ように携帯で話したり携帯で音楽を聴くようになっていること。角幡氏が書いているのだが、歩いてはいけないようなこのツアンポー峡谷ですら、 GoogleMapでかなり詳細にみることができる。読んでいて、チベットの山奥にテクノロジーというか文化が伝播して、生活を変えていく様が実感でき る。

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「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」からの引用

「死ぬような思いをしなかった冒険は面白くないし、死ぬかもしれないと思わない冒険に意味はない」
「あらゆる人間にとっての最大の関心事は、自分は何のために生きているのか、いい人生とは何かという点に収斂される。(略)冒険は生きることの全人類的な意味を説明しうる、極限的に単純化された図式なのではないだろうか」

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写真は北京郊外の村

東京のフェルメール

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フェルメールは17世紀のオランダの画家である。活動期間は20年ほどで現存する作品は最大37点と言われる。3~4点は真筆ということに関しては意見が分かれている。その数少ない作品が2015年オークションに出され、日本人と思しき人が落札され、今年、世界遺産登録で話題になっている国立西洋美術館に寄託された。ついにこれで日本もフェルメールが見られる国になったことは喜ばしい。フェルメールがいつでも見られる街に住むということはなんと素晴らしいことか。

その作品、「聖プラクセディス」は、真筆かどうか意見が分かれている作品であるのは残念だが、世界的にも人気の高いフェルメールがそもそもオークションに出ることは考えられないので、これは仕方ない。11億円といわれる価格で落札して国立西洋美術館でみんなに見せてくれるとはなんと素敵な人だろうか。

1990年代の初めにニューヨークで初めてフェルメールを見て以来、作品を見てきたが数年前までにすべてを見ることができた。最後の作品は、バッキンガム宮殿の「音楽のレッスン」だった。これは、イギリス王室が夏の休暇中にだけ、その美術館が一般公開されるのでタイミングが合わないと見るのが難しいし、貸し出しもされないので最後まで残っていた。

フェルメールはその光の表現と独特の静謐な雰囲気のある作品で世界的に人気があり、特に日本では人気が高い。私も19世紀の印象派以前の絵は特に有名なものを除いて宗教画という先入観があってフェルメールのような風俗や日常生活を描いたものはよくは知らなかった。それが、すっかりはまって、日本では有名なフェルメール巡礼を始めることになった。これは、所蔵されている美術館に行って作品を見るというもので、せっかく行っても貸し出されているというようなことがありなかなか実現が難しい。20年かけてすべて作品をみることができたが、まだ現地で見ていないのは、ドイツのブラウンシュバイク ヘルツォーグ・アルトン・ウルリッヒ美術館の「二人の紳士と女」、ロンドンのケンウッド・ハウスの「ギターを弾く女」、エディンバラ 国立スコットランド美術館の「マルタとマリアの家のキリスト」だ。あと三都市の訪問が残されている。

でも、盗難中のボストン イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館の「合奏」は見ることができないし、個人蔵の「ヴァージナルの前に座る若い女」も行って見ることはできない。

○は現地で鑑賞、

△は貸出された美術館で鑑賞
■ アムステルダム 国立美術館
1.「牛乳を注ぐ女」
2.「手紙を読む青衣の女」
3.「恋文」
4.「小路」
■ハーグ マウリッツホイス美術館
5.「真珠の耳飾りの少女」
6.「ディアナとニンフたち」
7.「デルフトの眺望」
■ブラウンシュバイク ヘルツォーグ・アルトン・ウルリッヒ美術館
8.「二人の紳士と女」
■ ベルリン 国立絵画館
9.「紳士とワインを飲む女」
10.「真珠の首飾りの女」
■ドレスデン 国立絵画館
11.「取り持ち女」
12.「窓辺で手紙を読む女」
■フランクフルト  シュテーデル美術研究所
13.「地理学者」
■ ウィーン 美術史美術館
14.「絵画芸術」
■  パリ ルーブル美術館
15.「レースを編む女」
16.「天文学者」
■ロンドン ナショナル・ギャラリー
17.「ヴァァージナルの前に座る女」
18.「ヴァージナルの前に立つ女」
■ケンウッド・ハウス
19.「ギターを弾く女」
■英国王室コレクション
20.「音楽のレッスン」
■エディンバラ 国立スコットランド美術館
21.「マルタとマリアの家のキリスト」
■ダブリン アイルランド国立美術館
22.「手紙を書く婦人と召使い」
■ワシントンDC ナショナル・ギャラリー
23.「手紙を書く婦人」
24.「天秤を持つ婦人」
25.「赤い帽子の娘」
26.「フルートを持つ娘」
■東京 国立西洋美術館
27.「聖女プラクセデス」
■ニューヨーク メトロポリタン美術館
28.「水差しを持つ女」
29.「少女」
30.「眠る女」
31.「窓辺でリュートを弾く女」
32.「信仰の寓意」
■フリック・コレクション
33.「兵士と笑う娘」
34.「稽古の中断」
35.「婦人と召使い」
■ボストン イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館
36.「合奏(盗難のため行方不明) ×
■ 個人蔵 (場所不明)
37.「ヴァージナルの前に座る若い女」

写真は、すでに東京で見ていた「手紙を書く婦人と召使い」を見に行ったダブリンで。