英語になった日本語

レンズで使う「ボケ」という言葉は、英語でも「bokeh」という言葉として同じ意味でレンズの説明の時に使われる。なぜ日本語のボケが英語になるかというと多分、そういう概念が海外にないからだろう。写真は写真であってボケを味わうために撮るのは本末転倒というのが正統的な写真の撮り方と思うが、日本では日本人のまじめな性格が影響してレンズの性能を試したり写り方を比べたりということが遊びの中心になって表現とは別の写真の写りを追求することが写真の撮り方になってきたということかもしれない。

英語になった言葉としてはたくさんあって最近の流行ではkaroshiとかkawaii。古いと思われるのは、hancho。「班長」から来たと思われるが、そもそも日本語としてもあまり使われなくなってきているから英語になったのはずいぶん前と想像される。

写真はSummilux 50mm 第二世代

Notting Hillと映画と単語のnot

もうしばらく前にロンドンに拠点を置く会社の仕事をしていた。その時は駐在ではなく、長期出張ベースで行ったり来たりとホテルや短期滞在アパートで暮らしていた。ホテルだと、キッチンがある訳でないので朝食に好きなものが食べられないので困った。ホテルは朝食がついているのだが内容は基本的には同じで1週間も食べていると完全に飽きてしまう。その点、短期アパートだとキッチンがあるので好きなものが食べられるが1週間程度の短期アパートだといろいろと面倒でホテルになる。どちらにせよ良い点、悪い点があるのだが、家にいるより快適ということもない。その年は揉め事多くてともかく疲れていた。

そんな頃の話で週末はやることもないので街中を写真を撮ったりして歩くことになるが、そんな頃にたいていのロンドンの観光地は行ってしまった。ノッテングヒルもそんな観光地だ。そもそもは週末に蚤の市があって中古のカメラも売っていると同僚から聞いたからだ。実際にカメラは売られていたがとても使えるようなものでない古いものかキヤノンやニコンの入門用の機種が多かった。

でも街の雰囲気も良いしレストランやパブもある。さらに滞在しているロンドンの中心部からもそう遠くないということもあり昼も夜も時々出かけた。最も夜は閉まっている店が多いので夕方に行って夜までいただけなのだが。

それで興味が出て東京に帰っている時に映画の「ノッテングヒルの恋人たち」を見返してみた。原題は「Notting Hill」で邦題は「ノッテングヒルの恋人たち」、1999年の製作だからずいぶん古い映画だ。要はロンドンでもおしゃれな場所ということなのだろう。映画を見ると見慣れた景色があちこちに登場する。ノッテングヒルだけではなくメイフェアのリッツ・ホテルなど他の地域も登場して面白い。それで次のロンドン滞在中に撮影場所を探してみた。物語の舞台の、ヒュー・グラントが経営している書店のモデルの店は実際は別の場所にあり、そこでたくさんの観光客が記念撮影をしていた。映画の設定の旅行の本専門店ということだからもしかすると映画の後でできた可能性もある。撮影でその書店として使われた店は、面影はあるもののまったく別の商売になっている。これは当然か、撮影に場所を貸しただけだから。それから、彼が住んでいてジュリア・ロバーツが泊まる自宅も青いドアで映画の姿のまままだあった。映画の聖地巡礼という言葉を知ったのは、ノッテングヒルめぐりの前だったか後だったか。

この地名のNottingが気になったことがあって調べたが分からなかった。ノッテングヒルのあたりはなだらかな丘になっているので、「結ぶ」のknotからkが落ちたのかしらとずっと思っている。

上の写真は、映画に出てくる旅行の本だけを扱う書店が撮影された店舗。下は、ヒューグラントが住んでいた自宅。玄関の上にパーティをやった屋上が見える。

テロリズムの時代

先日のパリでは、迷彩服の6人の兵隊が隊列を組み機関銃を構えて街中をパトロールするのに何度も出くわしたり、地下鉄の駅で職務質問をしているところを見たり、大きな施設では手荷物チェックがあり鞄を開けて見せなければならなかった。ルーブルは金属探知機をくぐり手荷物は飛行場のようなX線検査機をくぐらせた。このために予約のない人はルーブルのチケット売り場にたどり着くまでに1時間以上は列に並んでいたようだ。個人的には、あまり人が多く集まる観光地に用はなかったのだが、それでも2015年のテロの影響は見ることができた。

それが、帰ってすぐのシャンゼリゼでの銃撃戦である。警官が撃たれて死んだと報じられたが、そんなにすぐに起こると思わなかった。

現代という時代はテロリズムと同居の毎日である。日本はというとテレビでは毎日、ミサイルが飛んできた時の注意が放送されている。そういうものを聞きながら、ケネディ政権下のキューバ危機について考えていた。キューバ危機は、戦争直前まで行ったとは言え危機にあったのは2週間程度、事件が完全に収束するミサイルの撤去まで入れても一か月と少しの出来事であった。日本は、これから何か月もあるいは何年もミサイルの危機に怯えて暮らすのか思うと気が重くなる。こういう世の中の落ち着かない気分が日本人の気持ちや芸術、経済活動にどのような影響を及ぼすのか関係ないのか。そんなことも気になる。

ジョン・サマヴィル「人類危機の十三日間」やその元になったと言われる「13日間―キューバ危機回顧録」 ロバート ケネディが思い浮かぶが、この北朝鮮ミサイル危機は何か作品を生み出すのか、それともぼんやりとこの危機を受け止めて何も残さないのか興味がある。

写真はパリのサンマルタン運河。パナマ運河のような閘門式運河である。リパブリックでメトロを降りて東側に行くと中華街のような好きなエリアがあるが、今回もその方向に足が向いた。ただし午前中だったので多くの店は閉まっていて写真を少し撮って素通り。このそばの通りの市場も休みの日なのか店はでていなかった。その後、地下鉄でアリグレ・マーケットまで行ってランチをとった。

今回の旅行では美術館へ行くのがメインなので食事は美術館で簡単に食べたのと、間の2日間で少し街歩きの時に、アリグレ・マーケットの市場、それからダゲール通りの市場とバスティーユ北側の市場のそばのレストランで食事した。市場のカウンターはバルセロナのような食欲をそそる食材ではなくサンドイッチなどが多く残念ながらパスした。

どこも時たま現れる兵士を除けばのどかな観光地そのものだが、いつどこに恐怖が現れるかどうかわからないという点で私たちはテロリズムの時代を生きている。

 

ノクチルクス Leica NOCTILUX-M 50mmf1.0

長年に亘って憧れていたノクチルクスをデジタルのライカを手に入れたついでに買ってしまった。家を建てるからついでに車も買い替えたみたいな勢いの大衝動買いだ。清水の舞台を重ねて飛び降りたと言っても良い。でも結論から言うとデジタルのライカは少しレンズの試し撮りをしたこととバルセロナに持って行った以外はまったく使っていない。

買ったのは比較的安価で買える第二世代のf1.0のもの。安価と言っても今まで買ったレンズでは一番高い。それを、昨年の秋の東京の紅葉も終わりつつ頃に、持って出かけた。試し撮りのつもりだったが、NDフィルター無で昼間の撮影は開放付近ではかなり難しい。

f1.0

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Leica M-Pはシャッタースピードが1/4000秒なのでオーバー気味に写っている。写真としてはちょうどよいかもしれないが、他の絞りと比べるには不適。手前の赤い紅葉の一番手前のみにピントが来て、背景の黄色い葉は完全に溶けている。かなりグルグルボケではあるが個人的には気持ちよい。

f1.2

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f1.2になってもまだオーバー。気持ち被写界深度が深くなっている気もするが大きな差はなく、手前の紅葉の前方にだけピント。背景もf1.0と同様にグルグルと溶けてしまっている。

f2.0

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絞りがf2.0ではシャッタースピードが追い付いてきて露出は適正。手前の紅葉のピントは深く、かなりの部分にピントが来ている。背景はまだ溶けたままだが、形は見えてきた。

f2.8

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f2.8になると手前の赤い紅葉はほぼピントが来て、背景の赤い紅葉は葉であることが分かる。黄色い部分はまだ溶けている。

f5.6

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f5.6では、手前の赤い紅葉はピントがしっかりと全体に合い、背景の赤い紅葉は葉であることははっきりと分かる。

実は、買ったのは良いもののこのレンズをフィルムでは使ったわけではなく、全くの物欲買いであまり意味がない。一度、フィルムでも使ってみなければいけないと考えている。

「フェルメールと風俗画の巨匠たち」展

もう30年近くもかけてフェルメールを見る旅を続けてきた。すでに実作と言われている作品はすべて見ている。最初に見たのは1989年のニューヨークだった。それ以前にもルーブルとかナショナルギャラリーとかで見たかもしれないが、大きな美術館でフェルメールを見つけるのは難しい。と言うか、それ以前にはフェルメールを意識していなかったからだと思う。

ニューヨークのフリックコレクションは小振りな美術館で作品を外に貸し出さないので有名だが、多くの有名な画家の作品と並んで、フェルメールを三作も所蔵している。それは、「中断されたレッスン」、「兵士と笑う娘」、「婦人と召使」だ。屋敷を改造した美術館でフェルメールを三作も持っているのだから、フェルメールがいかにも目立つ。その時には知らなかったが、現在の認められている作品、36作のうちの3作だからすごい率だ。しかも、初期の若書きと言われる物語画4作やワシントンDCにある「フルートを持つ女」や「赤い帽子の女」の2作は研究者によっては真作とは認められていないから、現存する実質的とされる作品数は30作だから、3作も所蔵しているということはすごいことだ。

そのフリックコレクションを訪れたのは1989年の夏のことだった。5番街の一角に建つ建物は、メトロポリタン美術館が美術館なら、美術館には見えない。中に入ると静かな雰囲気で、広い中庭があり美術館の雰囲気とは違っている。その時点ではあまり知らなかったが、このような邸宅を改造した美術館はあんがい多いもので、この後、ニューヨークやワシントンDCでも行ったし、ヨーロッパでも多くいった。

今回、パリに行ったのは、そのフェルメールの絵が12作も展示されるということで急に思い立って出かけた。先ほどの30作からすれば、これだけで40%もの作品が終結したということだ。この規模でフェルメールが集まるのは20年に一度くらいの出来事なので行ってみたかった。

パリは一昨年のテロの影響で大規模な施設では必ず手荷物検査があったが、ルーブルも例外ではなく、入り口で空港のような機械に手荷物を通して、金属探知機をくぐらなければいけなかった。ここがすごく混んでいてさすが観光立国のフランス。すごい人数が訪れるのであろう。調べてみるとテロの影響で減ったとは言え、2016年の数字で3000万人だから日本全体よりも多い。そういうことでルーブル美術館自体もすごい観光客だから、これを入館調査するとすごい時間がかかるだろう。予約のチケットを見せると少しは早くなるのだが、これがなければ1時間待ちは確実だろう。でも、このセキュリティを済ませても、まだフェルメールが展示されている「フェルメールと風俗画の巨匠たち」展で列を作らなければならない。これが約40分。二度行ったが、待ち時間は二回とも同じくらいだった。

さて、それでやっと展示。会場は、デホーホなどの同時代のオランダの画家を加えて、音楽や手紙のコーナーになっているのでフェルメールを一杯見たいということを一目で満足させることはできない。でも、同時代の画家の同じテーマも作品も見比べることでゲルメールの立ち位置がよく分かった。つまり同時代の風景画を同じようにだが、ただ天才的に描くことはできたが、個人的に何か別の要素を加えたということでもない。何年か前に東京でも同じような趣旨の展示を見たが、その時にはあまり感じなかったが、フェルメールのすごさは同じ題材を扱っても別の次元まで高めたということだ。これが、彼が職業的にたくさん描いて稼ぐというよりも義母の仕事もしながら時間をかけて描けたということも関係するのかもしれない。

二度、ルーブルには行ったが、それ以外は観光というよりはカフェや川岸で本を読んだり東側の市場に食事に行ったりして過ごした。朝晩は冷え込むものの日中は晴れて暑いくらいの天気でのんびりとした良い休暇を過ごした。

写真はサンマルタン運河に行く途中のリパブリック広場。

旅行支度のカメラ

今週は久しぶりに休みが取れたのでヨーロッパまで久しぶりに出かける。昨年の11月のロンドン以来だ。旅行で一番悩むのはカメラをどうするかということだ。

まず、デジタルかフィルムか両方か?デジタルは、一眼レフかライカか?あるいはフィルムがメインにしてデジタルはiPhoneあるいはコンパクトにするか?フィルムなら35mmか中判か?35mmも一眼レフかライカか?中判はハッセル、ローライ、マミヤにするか?

急な旅行を決めて2ヶ月弱悩んできたが、メインをローライで念のためにライカの小型CLを持ってデジタルは記録用にコンパクトのFujix100にしようと決めた。iPhoneは持っていくのだからデジタル強化とも言える。フィルムが値上げ前に買った120がたくさん残っていることもある。ハッセルでないのは街中で気楽にスナップと考えている体が、35mmも持って行くという中途半端な体制は自分でもどうかと思うが、小型ならいいかと自分を納得させている。レンズも悩むとことだが、やはり使い慣れたSummiluxの50mmか35mm。これは最後まで悩むことだろう。バルセロナは中判をやめて35mmのライカのデジタルとフィルムでレンズを共有した訳だが今回は抑えなのでレンズは一本の予定。さて、どんな旅行になるか。3日だけの滞在だからそう写真を撮ることもないかもしれない。

写真は昨年行った上田市。県立高校の門が美しかった。

 

コレフォックス バルセロナの火祭り

レンズには基本的にフィルターを付けない主義だったのだが、それを変えることになったきっかけがあった。昨年の秋にバルセロナにコレフォックスという火の祭りを見に行ったのだが、その時に事件は起こった。

火の祭りという知識だけで、それほど過激とは思ってもいなかった。その祭りでは悪魔の衣装を着た人が先が三又のフォークのような槍を持って、その槍に花火がついている。花火の火の弾丸が激しい勢いで周辺に飛び交うという激しいものだった。この花火が目の前で破裂する様を、子供の行列と大人の行列の両方を3時間余りも写真を撮っていた。ずっとファインダーを覗きっぱなしだったので、終わった頃にはすっかりファインダー酔い。2種類あるには日本のお祭りの子供神輿と大人神輿と同じ。

子供や大人が花火を槍につけて目の前で発射するからあちらからもこちらからも火の玉が飛んでくる。化学繊維の服を着て行ってはいけないと聞いていたが、本当にそうだった。大きな火の玉が足元に落ちて爆発したので、靴とズボンの間のむき出しの足首にやけどを負った。このパレードに参加している子供や大人は厚いレインウエアのようなコートに同じ材質のレインハットをかぶりゴーグルをした完全武装だ、火の弾丸を発射する槍を持っていなければ、まるで消防士のパレードのようだ。時々現れる大きな竜の山車にはさらに大きい花火がついていて大きな火弾を発射する。

長い撮影に夢中になってパレードが終わってレンズを見るとフィルターに3か所も焼け焦げがついている。指でこすっても石鹸で洗っても焼け焦げは取れない。このレンズは、バルセロナに持って行ったSummilux 50mm第二世代で中古で買った時からフィルターがついていたので偶々そのまま使い続けていた。同時に持って行ったSummilux 35mm第一世代は最初からフィルターを付けず使っていたが、この夜の撮影に50mmを選んだことが幸運だった。35mmを使っていたらレンズが焼け焦げるところだった。

東京に戻ってフィルターを買おうとMap Cameraに向かい、店員さんに在庫を尋ねたところ新品と中古があり新品の方が安かった。不思議に思いながら新品を買おうとして、念のためにフードを試したところフィルターの縁の厚みのためにフードはつけられなかった。私のSummilux 50mm第二世代はシリアル番号から見ると1968年の製造のようだが、この頃のフードは最新のフィルターは使えないようだ。仕方なく、少し高い中古のフィルターを買って帰ってきた。

画質の低下など気になることはあるが、多分、誤差の範囲なので今後はなるべくフィルターを使おうと思った事件だった。