フェルメールと手紙

デルフトへの旅行中に考えたことのひとつ、手紙について。

フェルメールの30数作品のうち、6作品が手紙をテーマとしている。ドレスデンの「窓辺で手紙を読む女」、アムステルダムの「青衣の女」と「恋文」、ワシントンの「手紙を書く女」、ニューヨークの「女と召使」、 ダブリンの、今回来日中の「手紙を書く女と召使い」がそれらである。

フェルメールが手紙のシーンを描いた訳

手紙を読んだり書いたりするという行為をフェルメールや同時代の画家たちが取り上げたのは、当時の最先端のファッションではと考えた。彼らの時代には、今の携帯メールのように新しい物だったから、何度も取り上げたのだろうと思った。しかし、問題はどれほど普及していたのだろうかということ。つまり文盲率と郵便制度の問題である。

文盲率の問題については、実はあまり問題ではない。なぜなら、フェルメールのパトロンは上流階級に属する富裕層であるため、教育水準は高いはずだ。読み書きの問題はないだろう。さらに17世紀のオランダは経済成長とバブル経済の中で急激に教育水準があがり、出版も他の諸国に比べると活況だったようだ。つまり、生活が豊かになったために、関心は珍しいチューリップの球根の売買にも向かったが、本を読んだりすることにも向かったということのようだ。だから、手紙を読んだり書いたりということは全く問題がない。

オランダは、郵便先進国だった

手紙のデリバリーの郵便システムについては、オランダでは諸外国に先駆けて、フェルメールの時代の17世紀初めに近代的な郵便システムが確立していたそうである。

手紙は紀元前よりヨーロッパや中国に存在する。ただし、基本的には公文書などの目的のために使われていただけで、個人が個人的な目的で使えるものではなかった。 16世紀に神聖ローマ皇帝の許可を得たタキシス家がヨーロッパ全体でタキシス郵便を始めていたが、一般的に手紙が使えて個人的な感情を手紙を通じて送れるようになったのは、17世紀のオランダの近代郵便制度が最初だった。イギリスは遅れること1世紀、日本も遅れること2世紀たって近代郵便制度が確立された。

郵便制度はラブレターを送るために作られたのではなく、当時のオランダの経済的発展と商取引の増加のために、効率的なビジネスのコミュニケーションとして作られたはずだ。この制度を制度を利用して、個人が個人の思いを伝えるために手紙を書くといいうことが始まったのだろう。

大航海時代

フェルメールが生きた当時のオランダは大航海時代のまっただなかで、国内外での人の移動や海外滞在も増加して、遠くに離れて住んだり旅行をする人が増えていただろう。しかし、たとえ遠くに暮らしていても、手紙という方法で安価に史上初めて個人が個人的な気持ちを伝えることができるようになっていた。同じように、近くに暮らす人にとっても人目につかず、心を伝えることも手紙によって出来る様に、結果的になった。

フェルメールや同時代の画家たちが描いたのは新しい時代の人間の新しいコミュニケーションだった。息を潜めて、自分宛の手紙を一心に読む女性、想いを手紙に込めてペンを持つ女性、手紙を受け取った瞬間の喜びと内容へのおそれ。フェルメールの作品の中の女性は現在の私たちの姿でもある。誰にとっても、もっとも心を揺さぶられるコンテンツは、ハリウッドの映画や音楽ではなく、家族や恋人からの個人的なメッセージだからである。

オランダでは、「世界は神が創ったが、オランダはオランダ人が造った」と言われているようだ。低い土地に堤防を巡らして国を造ったオランダは、その貧弱な国土による生産力をカバーするために、貿易に道を求め、アジアや新大陸まで人を送って産品を求め、国力を発展させた。ニューヨークも初めはニューアムステルダムだった。そういう時代、単身赴任で海外に仕事に行っていた人が家庭に手紙を送ったのだろう。

フェルメールの画の中の画中画に海を航海する船が出てきて、それが嵐の海なら、その恋が不安定なこと、凪いだ海なら安定していることを暗示していると解釈されているようだが、それもあるかもしれないが、もっと単純に遠くへ行った家族、恋人からの手紙ということをまず提示しているのだと思う。

小さな国をカバーするために世界中まで出かけて貿易に道を求め、教育水準が高く、 経済が発展を遂げたが、世界最初のバブル崩壊を経験した17世紀のオランダは、まるで20世紀の日本を思わせる。

21世紀の日本や世界では、手紙を読むことは少なくなり、もっぱら電話とメール。フェルメールが今、生きていたら、想いを伝えるどんな一瞬を描くのだろうか。