後世の上塗りとイメージの固着

鳥類の摺り込みの様に、一度見てしまうと、そのイメージに囚われてなかなか元に戻せないということがよくある。有名な絵画もそうで、修復されて違う絵になって、イメージと違うということがある。

有名な絵画の作品が、後世の修正により全く違うものになってしまっていたということがある。何年か前にスペインで話題になった様に、修復で絵画の人物の顔が漫画の顔になってしまうような失敗の例がたくさん報道されている。これは、例外だが、それくらい別もになっているということだ。

ダヴィンチの最後の晩餐のようなフレスコ画は、修正が基本的にはできないので、上に何かが書かれたと言う事はあまりない。しかし、油絵具は、上塗りが効くので、何かを塗りつぶしたり描き足したりと言うことが普通に行われてきたようだ。ダビンチは、作品を完成させず、ずっと上に描き足していたが、これは本人によるものなので別。

フェルメールの絵でも、ドレスデンの「窓辺で手紙を読む女」は、後世に壁に描かれていたキューピットを上塗りで隠していた。これは1979年にX線調査でわかっていたが、実際にその上塗りを修復により除去して、キューピットが現れたのは2019年だった。現れたキューピットは、フェルメールの所蔵で、ロンドンにある「ヴァージナルの前に立つ女」の背景に描かれているキューピッドの絵画と同一だ。

ドレスデンに行って、アルテ・マイスター絵画館で、この絵を見たことを思い出す。実物は、全体の色味が落ち着いていて、それが背後の壁とマッチしていて良かった。個人的な好みで、上位に入る絵だ。その時の事や、今まで画集などで見てきたイメージが固着しているので、巨大なキューピットの柄がある空間よりも、ただの白い壁の静かな空間の方が好ましい。ただこれも、最初に見たイメージにとらわれているからで、フェルメールの美意識ではない。本人もそのような修正を望んでいなかったはずなので、上塗りされた壁が取り除かれたことを喜んでいることだろう。

これと同様で、絵ではなくとも、今まで信じていたことが間違っていると解っても、気持ちの上では、それを、そのまま見ることは難しい。歳をとると余計にそうなので、毎日、新しい目で物事について、フラットに見る様に心がけたいものだ。