ライカ事始め

デジタルで写真の趣味が復活してから数年はデジタルの暗い場所での写りに見せられて夜景や室内の写真をよく撮っていた。フィルムに比べて面白いように撮れるので日常生活でも国内や海外の旅行でもデジタルの良さを生かして膨大な写真を撮った。20世紀の終わりにはメモリーも高かったがカメラの性能も低くて6Mとか12Mのカードを使っていた気がする。その少し前の1990年代の中頃には10MのHDDが10万円くらいもする時代だったから、デジカメだけが突出して進化したら大変なことだったのだが、技術の進化にそのようなことは起こらない。半導体の集積度やクロックスピードの高速化に合わせてカメラそのもの、記録装置、メモリーが軌を一にして進化するからカメラが高画素化してメモリーが必要になる時には、同じようにメモリーの価格も下がっている。

ムーアの法則は18ヵ月で半導体は半額になるというものだが、例えば6年では6.25%まで下がることになる。カメラの機能が進化せず高画素化しなければメモリーはタダみたいになる訳だが、それもまた起こらない。

話は脱線したが、デジタルで写真を大量に撮るとその保存が手間になってきた。パソコンには保存できないので、外付けHDDを購入して保存するとともにDVDにもバックアップを取った。だんだん、写真1枚当たりのデータ量が増え、途中からはRAWのデータも保存を始めたので、さらにデータ量が増加する。しかもデジタルだから、旅行などに行くと何千枚もの写真を撮っていた。

それが、中国にいる頃にデジタルに飽きてきた。どこで撮ってもきれいに撮れるので感動がなくなってきたのかもしれない。それでフィルムに興味が戻って、フィルムで撮り始めた。それが進んでモノクロのフィルムのみになったのが中国から帰国することだ。

帰国してから暗室を始めてフィルムも自分で現像するようになった。するとこれが面白くなった。作品としての写真に興味を持つと同時に、カメラやレンズに深い興味が出てきてしまった。多くの人が経験するレンズ沼である。

昔はニコンのフィルムカメラを使っていたが、ミノルタのアルファ7000が出てミノルタも使い始めたり、小型カメラが欲しくてオリンパスXA3やキヤノンIXYを買ったりしていた。でも、その頃にはライカを買おうという発想そのものがなかった。

それがライカに関心が向かったのはニコンを使ってフィルムで撮ってプリントしていると、お決まりの諧調とかボケとかの話が出てきて、どんどん興味がそちらに向かう。そしてついには買ってしまうのである。新宿のマップカメラやラッキーカメラ、銀座のレモンを覗いて、M3, M4, M6で悩んでいた。しばらく悩んだのちに中野のフジヤカメラで意を決して店員さんにいくつかを見せてもらった。みんな静かなシャッターで感激する。その頃はまだ感度分の16で撮っていなかったので店員さんの薦めでM6に決める。中古とは言え、裏にはビニールの保護シートがついている、擦り傷一つないきれいな個体だ。今から10年前だが、17万円ほどだったと記憶しているが、それまでにデジタルでもっと高いカメラやレンズを買っていたから価格耐性は相当進んでいたので躊躇なかった。レンズはズミルックス35mmの第一世代と決めていた。買った日はうれしくて帰りにフジヤカメラの鉄則の近くのケンタッキーでフィルム入れの儀式を行って何枚も撮りながら帰った。この時はチェックの意味もあるからカラーネガ。すぐに現像して写りを確かめた。初めてのライカには感動した。その立体感に驚いた。あの感動はその前のその後のどのカメラのは比べられない。

それから、ライカ関係の本を読み漁り、欲望が欲望を生んでカメラもレンズも防波堤の無い渇望期がやってきた。そのままライカもそのレンズもどんどん増え、病が高じて中判でハッセル、ローライ、マミヤに手を出した。しばらくはカメラを買うのに忙しくて写真を撮ることに興味が薄れた。それがまだ続いているが、プリントに精をだすことで病を抑えようとは努力はしている。