ジャック・フィニイ 「ふりだしに戻る」

スティーブン・キングの11/22/63を読んだ際に、その本のあとがきで彼が読むべき本としてあげていた ジャック・フィニイ 「ふりだしに戻る」をやっと読んだ。感想はどちらかというと微妙。

ジャック・フィニイ の作品はいくつか映画化されているようだが、驚いたのは、映画の『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』の原作を書いていたことだ。

 ちっと微妙の理由は、二つある。タイムトラベルものだから、いずれにしても非科学的的なのだが、ある程度の納得がほしいということと、ストーリー展開は平凡かなという感じがするからだ。

良い点は19世紀のニューヨークの雰囲気が丁寧に書きこまれていて、リアリティをもって田園時代のニューヨークを感じられることだ。よく歩いていたような場所が農場で鶏や豚が飼われていたなどは知識としては理解できても、考え難いが、うまく読まされる。

セントラルパークはニューヨークの郊外の豚が飼われているような湿地帯を土壌改良をして公園を造ったと読んだことが以前あったが、この小説の舞台の1882年より少し前のことで、小説にはすでに造園されたセントラルパークが登場する。

納得の問題だが、くどくど説得力のない説明をするより、スティーブン・キングの小説のように1行で過去にいける穴がありましたというように一気にフィクションだからということで、そこを乗り越えるという技もあるし、たとえばマイケル・クライトンのように一見科学的な説明をするという技もある。この小説の書かれた1970年代の時代背景があるのかもしれないが、説得力がなくて説明が長いのでなかなか小説に入れなかった。そのタイムトラベルの仕組みに納得感がないので、冒頭から少しもやもやして、それがストーリーに入っていけない原因となった。

この小説は、そういう疑似科学的説明とかどんでん返しのストーリー展開ということでなく、19世紀のニューヨークの雰囲気を感じる小説と読めばそれは面白い。スケッチや当時の写真も挟み込まれていて感じがよくわかる。

いくつか、面白かったのは、2番街に the Second Avenue Elという高架鉄道が走っていて、Elと呼ばれていたこと。これは全く知らなかった。高架鉄道と言えばシカゴだが、あんな雰囲気だったのか。

それから、フラットアイアンビルがまだ未建設で、その前のマジソン公園に自由の女神の腕だけが置かれていて建築のための寄付が募られていたこと。前に読んだが、自由の女神は一度に全部造られたわけではなく、部分を分けて造られ、あとで組み立てられたことが、ここでも語られる。

Jウォールター・トンプソンがたった一人で広告会社を始めていて小さなオフィスで営業しているが、主人公がその人に会社はうまくいきますよと教えたくなってしまうこと。主人公も広告を仕事としている設定だから、この一人の会社が、世界一の広告会社として成功するということがリアリティを持って語られる。この小説が書かれた時には多分、世界一の規模だったはずだ。

小説の重要な舞台はダコタハウスとグラマシーパークだが、どちらも雰囲気は変わっていないだろう。働いていた会社がグラマシーパークのそばだったのでよくその公園の周辺を歩いたが、住人以外は鍵を持っていないので中に入ったことはないが、見渡せるほどの小さな公園なのでランチタイムとか夜とかによく公園のそばを歩いていたが、小説の時代とは1世紀以上離れていたが景色はあまり変わっていないはずだ。

この小説を読んだので、あとはタイムトラベルで読みたいのは「夏への扉」か。たしか高校生の時に読んだ気がするが、もう一度読もうと思っている。

「マン・レイと女性たち」展

家族が、マン・レイ展に行くと言うので、どうしても行きたいわけではなかったが、ついていった。その展示は、東急文化村で開催されている「マン・レイと女性たち」と題された展示だ。

結論から言うと、行ってよかった。マン・レイは写真の分野でも多くの有名な作品を残しているが、写真家である前にアーティストである。知っていたが、東急文化村の展示で多くの作品を見て、それがよく理解できた。もちろん今回の展示は、マン・レイとその周辺の女性に焦点を当てた展示で、彼の作品の全体像を見せているわけではない。だから、全体を見るためにはもう少し別の展示を見る必要があると感じた。

写真家と言う面でも、レイヨグラフやソラリゼーションと言う手法を使った写真で有名だし、また女性をモデルの様々なセットアップの写真が20世紀のイメージを形作るほどの写真家である。

ファッション誌の写真も初めて見たが、端正といえばよいのかもしれないが、正統的なファッション写真だ。しかし、それらの有名な写真ではなく、特に会場の入り口付近にある7、8点のセルフポートレートすごく惹かれた。写真としての構成やライティングが写真家の写真を感じさせる。マン・レイの写真というイメージが、女性のセットアップ写真で出来上がっていたので、普通の写真という意味で、個人的な好みだった。

写真は、当時のヴィンテージと「後刷」と書かれていた2種類があった。「後刷」とはなんだろうか?単純に、最近のプリントだろうか?そして、その両者のトーンの違いに少し戸惑った。意図的なものなのか、低いコントラストのヴィンテージは、かつてはコントラストが高かったが、退色でトーンが低くなったのだろうか?マン・レイが自身でプリントしないまでも、承認したのはどちらのトーンだったのだろうか。

あまりにもたくさんの作品があったが、特に印象に残っているのは、初期の「イジドール・デュカスの謎」と題されたオブジェクトの作品と、それを写した写真の作品だ。特に写真の作品の、上から光があたった輪郭がはっきりしない部分と布の手触りが感じられる部分の共存がよかった。

そのオブジェクトは、油彩でも描かれているし、晩年のリトグラフにも登場する。会場で説明されていたマン・レイの謎と言う説明書きには、最後のリトグラフにはオブジェクトを縛っている紐が消えていることについての言及があった。そこに、どのような意図があったのか、その不思議に興味を惹かれた。

あまりにも有名なアーティストなので、なんとなく知った気でいたが、作品のほんの1部が、展示されただけで、その情熱の一端を伺いしれた事は良かった。

川瀬巴水

大田区郷土博物館まで川瀬巴水の版画を見に行ってきた。馬込は電車で行くのには不便なので、雨が降っていたこともあり、車で出かけた。雨の土曜日と言うこともあり、環七の渋滞があり30分以上かかった。

川瀬巴水の展示は、10月からSONPO美術館で行われることもあり、新宿の駅にはたくさんのポスターが貼られている。以前より人気のある版画家だが、ブームになるのかもしれない。

今までにも、川瀬巴水のいくつかの作品を見たことがあり、興味を持っていた。しかし、大きな展示を見たこともなかったし、調べたこともなかった。だから、この展示を見に行くまでは、江戸時代の浮世絵版画の流れをくんだ版画家で、江戸時代の終わりから明治時代に活躍した人とだと思っていた。

しかし、そうではなく、大正・昭和に活躍した人で、亡くなったのも昭和30年代に入ってからのことだった。彼が属していた版画は、新版画と呼ばれるもので、江戸時代に廃れた浮世絵の復興を目指して、明治30年頃より始まった運動ということを初めて知った。そして、そのきっかけになったのが、欧米から来日した画家だったらしい。彼らが、版画の技術者と手を組んで始めたのが新版画の始まりだ。

川瀬巴水は、鏑木清方の弟子で、兄弟子の伊東深水の新版画を見て、自身でも取り入れたということだ。

日本各地を旅行して、多くの作品を残している。今まで見ていたのは、夜景の作品が多いと言う印象だった。実際に大田区郷土博物館には多くの作品が展示されているが、やはり夜景のものが多かった。岩国の錦帯橋を描いた作品は日中の明るい光の中のものだし、箱根のサツキの作品も日中の作品だが、これらはあまり心に響かない。もともとの印象が夜景だから受け付けないのかもしれない。

同じ版木を使って、朝夕夜と3つの光を見せる作品もあり興味深かった。それをみると、やはり川瀬巴水の良さは光にあると思う。日中の光では、それは見えない。

良いと思われる作品は、早朝や夕景であったり、夜景だ。その方が光がよく見える。川瀬巴水の良さは、夜や朝夕のわずかな光が描かれている作品が美しい。特に、朝や夕の少し光があたった作品が良い。

撮影は許可されていました。

それと、もう一つ気になったのは、人物が登場するとその遠近感が狂って見えることだ。そうでない作品もあるが、人物の大きさが周りに比べると大きく見え、空間の構成がおかしく見えてしまう。それが、少し残念だ。

川瀬巴水は長く大田区の馬込あたりに住んでいたと言うことで、作品が大田区に寄贈されているようだ。展示されていた多くの作品は大田区共同博物館所蔵のものだったことからの推測だ。

しばらく、この馬込の環七の道路の反対側の山王に住んでいたことがあり、久しぶりの馬込の散歩を考えたら、雨と言うこともあり展示を見た後すぐ帰ってきた。

フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」の修復が完成

フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」の修復が完成して画像が公開された。以前に一部だけ公開されていた、後ろの壁のキューピットが完全に姿を現した。写真で見ると、後ろの壁にキューピットの大きな絵がかかっているので、構成的には、ややうるさい感じがする。あるいは、見慣れたこの絵のイメージと違うのでそう感じるだけかもしれない。

この絵が所蔵されているドレスデンのアルテ・マイスター絵画館に行ったのは2008年だったから、もう13年も経ったことになる。最近よく感じるように、本当に月日の経つのは早い。

このドレスデンの「窓辺で手紙を読む女」は、個人的には好きなフェルメールの作品のベスト3には入る。手前の抹茶色のカーテンの色と女性の服の袖が印象的で全体的に緑がかった色をしていた。

2017年までは、後ろの壁を塗り潰したのはフェルメール本人だと考えられていたので、画家本人が構成を考えて、シンプルにしたと思われていた。しかし、研究によって、後ろの壁を塗りつぶしたのはフェルメールの死後の事だと結論づけられた。このために壁の上塗りを取り除くことと、全体的な修復が行われたと言うことだ。

今回公開された写真で見ると、緑かぶりが取れて、クリアな抜けの良い画像になっている。絵の中の「赤が青は、緑かぶりが取れてはっきりとわかるようになって鮮やかな印象だ。しかし、それがかえってうるさい感じもする。これも修復前の印象にとらわれているだけかもしれない。以前は、壁が無地ということで、シンプルな構成で、緑がかっていたために、コントラストの低い絵だった。実際にこの修復された絵の前に立ってみるとまた違うように見えるだろう。

修復のビフォー・アフターの写真を両方を見ると、まったく新しい絵になっていることがよく分かる。この絵は、来年1月に東京都美術館で展示されると発表されている。例によって大混雑になるのだろうが、新しい絵になっていると考えると、これは行かなければいけない。学校の都合でいけるのは2月に入ってしまうがそれはかえって混雑を避ける上では好都合かもしれない。

“All Things Must Pass”がトップ10入

ジョージ・ハリスン(George Harrison)の1970年の「オール・シングス・マスト・パス」“All Things Must Pass”がビルボードのトップ10入したと言うニュースを読んで、懐かしい気持ちになった。今もアルバムを聞いている。

「オール・シングス・マスト・パス」は1970年の終わりに発売された。ジョージの初のソロアルバムで、3枚組のアルバムだ。1971年にチャートの1位を7週間もキープした。それから実に50年ぶりにトップ10に入り、7位まで達している。この「オール・シングス・マスト・パス」の収録曲には、シングルでも大ヒットして、1位を獲得した「マイ・スウィート・ロード」、My Sweet Lordと「美しき人生」、What Is Lifeも含まれている。どちらも、ジョージ・ハリスンの代表作である。

この時代、1970年はビートルズが解散した年だが、まだまだ根強い人気があった。その中で、ジョンやポールと違い、おとなしい感じで、比較的目立たなかったジョージがこのアルバムを発表し、大人気となったことを覚えている。

ビートルズの中では、ポールとジョンの曲が目立つが、個人的にはジョージの曲も大好きだ。「アイ・ミー・マイン」、「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」、「サムシング」、「ヒア・カムズ・ザ・サン」などは、ビートルズの代表作とも言えるし、個人的にもビートルズの曲の中でも上位に来る。

この当時、LPレコード2枚組はそう珍しくなかったが、3枚組となるとあまりない。3枚組と言うことで驚いたし、値段も高かったがよく聞いていた。レコードは、高いもので、LPを買うのは勇気がいった。2枚組、3枚組ならなおさらだ。収録曲が少なく、安いELレコードというものもあったくらいだ。

今回ヒットチャート上位に返り咲いたのは、50周年を記念して通常の2枚組CDなどからと125,715円もする木箱入りの記念セットまで、いろいろな形で再発売されたことが影響している。

この木箱には、LP8枚、CD5枚、音源のみのブルーレイ1枚が入っている。さらに、未公開写真や記念品、手書きの歌詞、日記、スタジオでのメモ、テープ保管箱の画像、包括的な各曲解説や、『All Things Must Pass』の制作過程を記録した全44ページの本まで入っているという。ちょっと高すぎて手が届かないが、中に含まれているジョージの自宅の木から作られた木製のしおりにはちょっと興味が惹かれる。

それにしても、この記念セットはなぜUber Deluxe Editionと呼ばれるのかよくわからない。あのUberとは関係ないよね。

フェルメールの作品分析

面白い記事を読んだ。パンデミックにより美術館の休館が続いているので、美術品の研究が進んでいると言うことだ。美術館が開館しているときは、来場者のために美術品を研究所に持ち込んで調査を進めると言うようなことができない。しかし長期にわたって休館していると、十分な時間をとって作品の研究ができると言う。美術研究にとっては不幸中の幸いと言うような事だ。

読んだのは、ワシントンのナショナル・ギャラリーのフェルメールのことだ。ナショナル・ギャラリーには、手紙を書く女性」、「天秤を持つ女性」、「赤い帽子の女性」、「フルートを持つ女性」という4作品が展示されている。この中に、個人的にも、多くの研究者も完全にフェルメールの真筆とは考えていない作品がある。1つは「赤い帽子の女性」、もう一つは「フルートを持つ女性」。どちらも他のフェルメールの作品のようにキャンバスには描かれておらず、板に描かれている。それに、ひと目見て、他のフェルメールの作品にあるような光のグラデーションや深みが感じられない。だからナショナル・ギャラリーでもフェルメールのものとは断定せずに、「Attributed to Vermmer」(考えられる)と言う断定しないような、曖昧な説明書きが付されている。

研究が進んでいるのは、この2作品についても同様だ。もう一つ驚いたのは、ナショナル・ギャラリーは、アメリカ空軍のU2のような偵察機用のカメラを開発している会社の研究者を雇って、美術品の研究をしているということだ。その会社のカメラは先日の火星探検の際にも使われるほど高性能のものだと言う。

絵画の分析に使われているカメラは、X線分光器カメラとでも訳すのだろうか。絵画分析のために作られている特殊なカメラで、反射してくる光の波長を分析して、絵の具に含まれている物質を特定できる。

反射してきた光の波長により、その絵画の絵の具の亜鉛、銅やその金属を測定したり、紅い絵の具に含まれるカイガラムシの測定もできるということだ。

それで肝心のフェルメールの作品の分析だが、結論から言うとまだわからない。分析によれば他の作品に比べて、下地の描き方が荒いなど、他の作品との相違点がいくつかあることがわかってきた。しかし、まだ結論が出せないと言うことだった。

興味を持って記事を読み始めたが、結論はまだ出せずと言うことで、少しがっかりな気分だった。

誰が描いたにせよ、作品が残っているわけで、フェルメールではなくても、あの作品が好きだと言う人もいるだろうから、どちらでも良いと言えばどちらでも良い。

個人的には、一目で、フェルメールでないと思ったから、フェルメールでないとしても驚かない。むしろ、もしフェルメールの作品と確定した場合には、ある時期の習作と言うことになるんだろう。

ワシントンDCには、一年ほどいたからナショナル・ギャラリーのことも思い出して、行きたくなったが、いつ行けるのだろうか。

カズオ・イシグロ「わたしたちが孤児だったころ」

年をとると、ちょっとしたきっかけで過去の出来事を思い出す。まるで過去しかないようだ。それは、人生にやり直しはないし、過去は変えられないからだろう。

考えて見れば人生を考えるときには基本的には過去しかない。未来はあまりにも遠く感じられ身近には思えない。生来の楽観性のためかあまり真剣には考えない。自分の生きているということを考えると現時点の過去の集積が自分の人生になっている。未来や現在まで含めて、総体的に捉えるような頭の良さというか、想像力が自分には欠けているようだ。

未来はおぼろで、現在は見る間に過去に変わっていく。時間は過去に流されるかのか、自分の中に澱のように沈澱していく。そんな意味で自分には人生は過去の集積の様に感じる。

「When We Were Orphans 」は、そんな過去の話だ。20世紀の初めに上海に生まれたイギリス人の回想になっている。随分昔に「Never let me go」を読んで以来の Kazuo Ishiguroはほとんど読んできた。だが、この作品はまだだった。そして、忙しかったせいか、最近の2作はまだ読んでいない。

「When We Were Orphans 」は、読み始めたものの、雑な探偵小説のパロディのような感じがして、あまりに稚拙な穴だらけのストーリー展開と現実感のない描写にイライラしながら読み進んだ。大作家の作品を稚拙というのも尊大な感じだが、本当にそう感じたのだ。

そして最後の種明かしで、その粗と感じたことこそが、登場人物を説明するためのKazuo Ishiguroの技だった。タイトルにもなっている「わたしたちが孤児だったころ」とは、現実に主人公は孤児だし、孤児も登場するが、最後の方の主人公の独白

But for those like us, our fate is to face the world as orphans, chasing through long years the shadows of vanished parents. There is nothing for it but to try and see through our missions to the end, as best we can, for until we do so, we will be permitted no calm.

 から採られている。というより、この文章を書くために小説が書かれたといっても良いと思う。ここに書かれているのは、消えた両親の影を追い求め、穏やかな気持ちになることはないということだが、この両親は、自分の前にある、他のすべてのことに当てはまる。私たちは、両親を求める孤児のようにこの世の中に生きているということだ。

この小説の登場人物は、孤児であろうとなかろうと、すべての人が何かを追い求めている。そして、この小説の中では何も実現することなく終わっている。その意味で、この小説は喪失の物語である。両親を、愛を、故郷を、子供を、自己を、理想を、存在意義を失くした人の物語である。

小説の始めに感じた粗さは、この小説家の意図であり、この主人公の存在のはかなさや脆さを表現していると感じたのは最後の最後になってからだ。 Kazuo Ishiguroという小説家は、小説という形式を手玉にとってこの小説を書いたといえる。だから、一度読んだだけでは、この小説の小説としての面白さは味わえないのかもしれない。

イギリス人の英語は、アメリカのミステリーと比べると文章が複雑なのと単語が難しいので好きではないのだが、Kazuo Ishiguroの文章は読みやすく感じる。

『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』から40年

インディアナ・ジョーンズのシリーズ第1作『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』は、アメリカで 1981年6月12日に公開された。今月は40周年だ。ちなみに、日本で公開されたのは、1981年12月5日。あの頃は、同時公開はまだ少なかった。

インディアナ・ジョーンズは、映画が生み出した20世紀のヒーローの1人だ。ジョージ・ルーカスとステーブン・スピルバーグが組んだ映画は他にもあるが、インディアナ・ジョーンズが最大のヒットだろう。

「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」の公開から8ヶ月後、ジョージ・ルーカスは、ステーブン・スピルバーグとスクリーンライターのローレンス・カスダンをロサンゼルスの彼のアシスタントの家に招いた。「スター・ウォーズ エピソード4」の公開は、1977年5月25日だから、それは1978年の初めということになる。

話題は、新しい映画、「インディアナ・スミス」についてだった。その時に、スピルバーグは、ディズニーランドのライドを設計するつもりでやろうと言ったそうだ。この予言は、のちに現実になった。

「インディアナ・スミス」は、途中から「インディアナ・ジョーンズ」に変わった。

この映画を最初に見たときに、舞台が1930年と言う事だけではなく、なんとなく古い印象がした。それはスピルバーグが、そのように見えるために、古い技法を対応しているからだ。いくつかのシーンでは背景を手書きで書くマットペインティングと言う技法が使われている。

マットペインティングは様々なやり方があるが、撮影時に未露光の部分を残して、現像後にフィルムに直接書き込む方法や、カメラの前にガラスに描かれた背景をかざして撮影する方法などがある。『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』がどちらの技法を使ったのかよくわからないが、どちらにせよ手書きのアーティストの力量が問われる技法だ。

特に最後のシーンの巨大な倉庫に資料が運び込まれる場面では、マットペインティングの倉庫が30秒間も映る。普通は描かれた背景と実写の違和感があるために数秒しか使われないが、このシーンでは異常な長さだ。あの最後のシーンよく覚えているが、あれが手書きの倉庫だとはとても信じられない。

この映画の中で、面白くてよく覚えているのはインディアナ・ジョーンズが敵と鞭で戦おうとするが、鞭ではなく、すぐに銃で敵を撃つシーンだ。これはチュニジアの40度を超える暑さで、撮影隊全員が疲労困憊して、そしてハリソンフォードを含む多くの人が赤痢にかかっていたために、長い時間の戦いのシーンを撮影したくなかったからだと言うことだ。

結果的に言うと非常に面白いシーンになって、インディアナ・ジョーンズの人間的な面白さを作り出すのに役立っている。。またナチの巨漢と戦うシーンでは、噛み付いたり、砂を目に投げつけたり、股を狙うなど、普通では勝てない相手に汚いやり方で戦うインディアナ・ジョーンズの、映画のヒーローらしくない戦いぶりが、人間的な魅力を作り出しているとも言える。このような要素が積み重なって、インディアナ・ジョーンズという20世紀を代表するキャラクラーが生まれた。

作品は、制作費1800万ドルという中規模予算で、世界興行収入3億8000万ドルの大ヒットを記録し、その後、シリーズ化されると共に、多くのスピンオフの作品やゲームを生み出している。

同じく、スター・ウォーズで有名になったハリソン・フォード主演の「ブレードランナー」は、1982年6月25日に公開されたが、こちらはアメリカでも日本でも全くヒットしなかった。

あれから、40年という時間を感じる。

ジャック・フィニイ 「ふりだしに戻る」

スティーブン・キングの11/22/63を読んだ際に、その本のあとがきで彼が読むべき本としてあげていた ジャック・フィニイ 「ふりだしに戻る」をやっと読んだ。感想はどちらかというと微妙。

 二つあって、タイムトラベルものだから、いずれにしても非科学的的なのだが、ある程度の納得がほしいということと、それとストーリー展開が平凡な感じがするからだ。良い点は19世紀のニューヨークの雰囲気が丁寧に書きこまれていて、リアリティをもって田園時代のニューヨークを感じた。よく歩いていたような場所が農場で、鶏や豚が飼われていたなどは知識としては知っていたが、この小説で実感できたことがある。

セントラルパークは郊外の豚が飼われているような湿地帯を土壌改良をして公園を造ったと読んだことが以前あったが、この小説の舞台の1882年より少し前のことで、小説には初期のセントラルパークが登場する。セントラルパークは、いまの形になったのが、1876年というから小説の舞台より6年前だ。あの巨大な公演を人工で作ったことは、東京でいえば、明治神宮の森が植林で一から作られたことと同じだ。人間が多少手を加えれば、自然が後を作ってくれる。

納得の問題だが、くどくど説得力のない説明をするより、スティーブン・キングの小説のように1行で過去にいける穴がありましたというように、一気にフィクションだからということで、そこを乗り越えるという技もあるし、たとえばマイケル・クライトンのように一見科学的な説明をするという技もある。この小説の書かれた1970年代の時代背景があるのかもしれないが、説得力がなくて説明が長いのでなかなか小説に入れなかった。

この小説は、そういうエセ科学的説明とかどんでん返しのストーリー展開ということでなく、19世紀のニューヨークの雰囲気を感じる小説と読めばそれは面白い。スケッチや当時の写真も挟み込まれていて感じがよくわかる。

いくつか、面白かったのは、2番街に The Second Avenue Elという高架鉄道が走っていて、Elと呼ばれていたこと。これは全く知らなかった。高架鉄道と言えばシカゴだが、あんな雰囲気だったのか。

それから、フラットアイアンビルがまだ未建設で、その前のマジソン公園に自由の女神の腕だけが置かれていて建築のための寄付が募られていたこと。

Jウォールター・トンプソンがたった一人で広告会社を始めていて小さなオフィスで営業しているが、主人公が、その人に会社はうまくいきますよと教えたくなってしまうこと。この小説が書かれた時には、多分、Jウォールター・トンプソン社は、世界一の規模の広告会社だったはずだ。

小説の重要な舞台はダコタハウスとグラマシーパークだが、どちらも雰囲気は変わっていないだろう。働いていた会社がグラマシーパークのそばだったのでよくその公園の周辺を歩いたが、住人以外は鍵を持っていないので中に入ったことはない。見渡せるほどの小さな公園なのでランチタイムとか夜とかよくそばを歩いていたが、小説の時代とは1世紀以上離れていたが景色はあまり変わっていないはずだ。ダコタハウスは、街の中心からあまりに遠いので、ダコタの名がついたと聞いたことがある。ジョン・レノンが、住んでいて、そこで殺されたから有名だ。

この小説を読んだので、あとはタイムトラベルで読みたいのはハインラインの「夏への扉」と小松左京の「果しなき流れの果に」か。たしかどちらも高校生の時に読んだ気がするが、もう一度読もうと思っている。

To say goodbye is to die a little

これからあと何冊の本を読むのだろう。短いもので1日未満、長くて数日から1週間、英語なら時間がかかる。平均して週に3冊として年に150冊。そこから考えても数千冊の上の方は難しそうだ。読まなければいけない本のリストはいくらでも作れそうだが、読みたい本のリストは難しい。なぜなら読みたい本は、もうすでに読んでしまった本だから。

時々、昔の音楽を聴くように読んだ本が読みたくなる。なので、読める本の総数はさらに減ることとなる。

「ブレードランナー」をまた見たらチャンドラーを読みたくなって、「The Long Good-bye」を買った。Kindleなら、その場で本が買えて読み始めることができる。もうすでに翻訳と英語で何回か読んでいるが、フィリップ・マーロウのあの語りが読みたくなるのだ。そんなことで、久しぶりにチャンドラーを楽しんだ。今回は、英語で読んだが、そういえば村上春樹の翻訳の「ロング・グッドバイ」が出ているのだ。古い翻訳の「長いお別れ」というタイトルが気に入らなかったので、「ロング・グッドバイ」が良い。「長いお別れ」は、好きになれない。

改めて読むと、いつも読んでいるマイクル・コナリーが、いかにチャンドラーに影響を受けているかよく分かる。読んでいて、マーロウかハリー・ボッシュが分からなくなってくる。彼らは、理想的な男の典型だ。正義感があり、情にもろくて、自分には厳しい。大事なことは、あまり自分のことや感情を語らないことだ。これは、まるで、自分の反対のような男だ。

結末は知っているからストーリーを追うのではなく、マーロウの生き方と考え方を追うのだ。そして、それに応じて出てくる彼の言葉を楽しむのだ。この小説には誰でも知っている有名な台詞がでてくるが、「さよならを言うことは、少しだけ死ぬことだ」もその一つ。これは特に人でなくても、色々なものや時代との別れも意味できると思う。長い間、この言葉を、さよならを言うと自分の中で何かが壊れて、死に近くという意味に考えてきた。しかし、死が、本当の別れなら、さよならを言って別れるということは、死のような本当の別れではなく、短い間の死のような状態であるということらしい。

以前は、古い翻訳の「少しの間だけ死ぬことだ」というのは、誤訳と思っていたが、その解釈に立てば、正しい訳だ。でも、そんな形通りの言葉の意味より、自分が思っていた意味の方が、この小説にふさわしいと、今でも思う。

この小説でギムレットを知った。それで初めてアメリカに行った時、酒屋を探して「ローズのライムジュース」を買おうとしたが、なかなか見つけられずあちこち探したのだった。やっと見つけて2本買って、1本は帰ってからギムレットを作ったが、2本目は大事にとっておいて駄目にした。

ギムレットと言えば、アメリカで正統的なギムレットにお目にかかるのは難しく、 たいていは氷が入って出てくる。美味しいギムレットが久しぶりに飲みたくなった。