ジャック・フィニイ 「ふりだしに戻る」

スティーブン・キングの11/22/63を読んだ際に、その本のあとがきで彼が読むべき本としてあげていた ジャック・フィニイ 「ふりだしに戻る」をやっと読んだ。感想はどちらかというと微妙。

ジャック・フィニイ の作品はいくつか映画化されているようだが、驚いたのは、映画の『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』の原作を書いていたことだ。

 ちっと微妙の理由は、二つある。タイムトラベルものだから、いずれにしても非科学的的なのだが、ある程度の納得がほしいということと、ストーリー展開は平凡かなという感じがするからだ。

良い点は19世紀のニューヨークの雰囲気が丁寧に書きこまれていて、リアリティをもって田園時代のニューヨークを感じられることだ。よく歩いていたような場所が農場で鶏や豚が飼われていたなどは知識としては理解できても、考え難いが、うまく読まされる。

セントラルパークはニューヨークの郊外の豚が飼われているような湿地帯を土壌改良をして公園を造ったと読んだことが以前あったが、この小説の舞台の1882年より少し前のことで、小説にはすでに造園されたセントラルパークが登場する。

納得の問題だが、くどくど説得力のない説明をするより、スティーブン・キングの小説のように1行で過去にいける穴がありましたというように一気にフィクションだからということで、そこを乗り越えるという技もあるし、たとえばマイケル・クライトンのように一見科学的な説明をするという技もある。この小説の書かれた1970年代の時代背景があるのかもしれないが、説得力がなくて説明が長いのでなかなか小説に入れなかった。そのタイムトラベルの仕組みに納得感がないので、冒頭から少しもやもやして、それがストーリーに入っていけない原因となった。

この小説は、そういう疑似科学的説明とかどんでん返しのストーリー展開ということでなく、19世紀のニューヨークの雰囲気を感じる小説と読めばそれは面白い。スケッチや当時の写真も挟み込まれていて感じがよくわかる。

いくつか、面白かったのは、2番街に the Second Avenue Elという高架鉄道が走っていて、Elと呼ばれていたこと。これは全く知らなかった。高架鉄道と言えばシカゴだが、あんな雰囲気だったのか。

それから、フラットアイアンビルがまだ未建設で、その前のマジソン公園に自由の女神の腕だけが置かれていて建築のための寄付が募られていたこと。前に読んだが、自由の女神は一度に全部造られたわけではなく、部分を分けて造られ、あとで組み立てられたことが、ここでも語られる。

Jウォールター・トンプソンがたった一人で広告会社を始めていて小さなオフィスで営業しているが、主人公がその人に会社はうまくいきますよと教えたくなってしまうこと。主人公も広告を仕事としている設定だから、この一人の会社が、世界一の広告会社として成功するということがリアリティを持って語られる。この小説が書かれた時には多分、世界一の規模だったはずだ。

小説の重要な舞台はダコタハウスとグラマシーパークだが、どちらも雰囲気は変わっていないだろう。働いていた会社がグラマシーパークのそばだったのでよくその公園の周辺を歩いたが、住人以外は鍵を持っていないので中に入ったことはないが、見渡せるほどの小さな公園なのでランチタイムとか夜とかによく公園のそばを歩いていたが、小説の時代とは1世紀以上離れていたが景色はあまり変わっていないはずだ。

この小説を読んだので、あとはタイムトラベルで読みたいのは「夏への扉」か。たしか高校生の時に読んだ気がするが、もう一度読もうと思っている。

カズオ・イシグロ「わたしたちが孤児だったころ」

年をとると、ちょっとしたきっかけで過去の出来事を思い出す。まるで過去しかないようだ。それは、人生にやり直しはないし、過去は変えられないからだろう。

考えて見れば人生を考えるときには基本的には過去しかない。未来はあまりにも遠く感じられ身近には思えない。生来の楽観性のためかあまり真剣には考えない。自分の生きているということを考えると現時点の過去の集積が自分の人生になっている。未来や現在まで含めて、総体的に捉えるような頭の良さというか、想像力が自分には欠けているようだ。

未来はおぼろで、現在は見る間に過去に変わっていく。時間は過去に流されるかのか、自分の中に澱のように沈澱していく。そんな意味で自分には人生は過去の集積の様に感じる。

「When We Were Orphans 」は、そんな過去の話だ。20世紀の初めに上海に生まれたイギリス人の回想になっている。随分昔に「Never let me go」を読んで以来の Kazuo Ishiguroはほとんど読んできた。だが、この作品はまだだった。そして、忙しかったせいか、最近の2作はまだ読んでいない。

「When We Were Orphans 」は、読み始めたものの、雑な探偵小説のパロディのような感じがして、あまりに稚拙な穴だらけのストーリー展開と現実感のない描写にイライラしながら読み進んだ。大作家の作品を稚拙というのも尊大な感じだが、本当にそう感じたのだ。

そして最後の種明かしで、その粗と感じたことこそが、登場人物を説明するためのKazuo Ishiguroの技だった。タイトルにもなっている「わたしたちが孤児だったころ」とは、現実に主人公は孤児だし、孤児も登場するが、最後の方の主人公の独白

But for those like us, our fate is to face the world as orphans, chasing through long years the shadows of vanished parents. There is nothing for it but to try and see through our missions to the end, as best we can, for until we do so, we will be permitted no calm.

 から採られている。というより、この文章を書くために小説が書かれたといっても良いと思う。ここに書かれているのは、消えた両親の影を追い求め、穏やかな気持ちになることはないということだが、この両親は、自分の前にある、他のすべてのことに当てはまる。私たちは、両親を求める孤児のようにこの世の中に生きているということだ。

この小説の登場人物は、孤児であろうとなかろうと、すべての人が何かを追い求めている。そして、この小説の中では何も実現することなく終わっている。その意味で、この小説は喪失の物語である。両親を、愛を、故郷を、子供を、自己を、理想を、存在意義を失くした人の物語である。

小説の始めに感じた粗さは、この小説家の意図であり、この主人公の存在のはかなさや脆さを表現していると感じたのは最後の最後になってからだ。 Kazuo Ishiguroという小説家は、小説という形式を手玉にとってこの小説を書いたといえる。だから、一度読んだだけでは、この小説の小説としての面白さは味わえないのかもしれない。

イギリス人の英語は、アメリカのミステリーと比べると文章が複雑なのと単語が難しいので好きではないのだが、Kazuo Ishiguroの文章は読みやすく感じる。

ジャック・フィニイ 「ふりだしに戻る」

スティーブン・キングの11/22/63を読んだ際に、その本のあとがきで彼が読むべき本としてあげていた ジャック・フィニイ 「ふりだしに戻る」をやっと読んだ。感想はどちらかというと微妙。

 二つあって、タイムトラベルものだから、いずれにしても非科学的的なのだが、ある程度の納得がほしいということと、それとストーリー展開が平凡な感じがするからだ。良い点は19世紀のニューヨークの雰囲気が丁寧に書きこまれていて、リアリティをもって田園時代のニューヨークを感じた。よく歩いていたような場所が農場で、鶏や豚が飼われていたなどは知識としては知っていたが、この小説で実感できたことがある。

セントラルパークは郊外の豚が飼われているような湿地帯を土壌改良をして公園を造ったと読んだことが以前あったが、この小説の舞台の1882年より少し前のことで、小説には初期のセントラルパークが登場する。セントラルパークは、いまの形になったのが、1876年というから小説の舞台より6年前だ。あの巨大な公演を人工で作ったことは、東京でいえば、明治神宮の森が植林で一から作られたことと同じだ。人間が多少手を加えれば、自然が後を作ってくれる。

納得の問題だが、くどくど説得力のない説明をするより、スティーブン・キングの小説のように1行で過去にいける穴がありましたというように、一気にフィクションだからということで、そこを乗り越えるという技もあるし、たとえばマイケル・クライトンのように一見科学的な説明をするという技もある。この小説の書かれた1970年代の時代背景があるのかもしれないが、説得力がなくて説明が長いのでなかなか小説に入れなかった。

この小説は、そういうエセ科学的説明とかどんでん返しのストーリー展開ということでなく、19世紀のニューヨークの雰囲気を感じる小説と読めばそれは面白い。スケッチや当時の写真も挟み込まれていて感じがよくわかる。

いくつか、面白かったのは、2番街に The Second Avenue Elという高架鉄道が走っていて、Elと呼ばれていたこと。これは全く知らなかった。高架鉄道と言えばシカゴだが、あんな雰囲気だったのか。

それから、フラットアイアンビルがまだ未建設で、その前のマジソン公園に自由の女神の腕だけが置かれていて建築のための寄付が募られていたこと。

Jウォールター・トンプソンがたった一人で広告会社を始めていて小さなオフィスで営業しているが、主人公が、その人に会社はうまくいきますよと教えたくなってしまうこと。この小説が書かれた時には、多分、Jウォールター・トンプソン社は、世界一の規模の広告会社だったはずだ。

小説の重要な舞台はダコタハウスとグラマシーパークだが、どちらも雰囲気は変わっていないだろう。働いていた会社がグラマシーパークのそばだったのでよくその公園の周辺を歩いたが、住人以外は鍵を持っていないので中に入ったことはない。見渡せるほどの小さな公園なのでランチタイムとか夜とかよくそばを歩いていたが、小説の時代とは1世紀以上離れていたが景色はあまり変わっていないはずだ。ダコタハウスは、街の中心からあまりに遠いので、ダコタの名がついたと聞いたことがある。ジョン・レノンが、住んでいて、そこで殺されたから有名だ。

この小説を読んだので、あとはタイムトラベルで読みたいのはハインラインの「夏への扉」と小松左京の「果しなき流れの果に」か。たしかどちらも高校生の時に読んだ気がするが、もう一度読もうと思っている。

「グレート・ギャッツビー」のパブリックドメイン入り

昨年、ジョン・グリシャムの「ギャツビーを追え」を読んだばかりだ。作品の中心は、「グレート・ギャッツビー」の草稿だった。

その「グレート・ギャツビー」が、ついに今年の1月1日にパブリックドメインに入った。そのためにアメリカでは、「グレート・ギャツビー」の様々な本が出版されている。著名人の解説が付いたバージョンが、いくつもあり、さらには漫画バージョンもある。

色々な関連の出版の中で、1番面白いと思ったのは、「グレート・ギャツビー」の小説の中での語り手であるニック・キャラウエイを主人公とした小説だ。彼が、ギャツビーと出会うまで姿を描いているということだ。当然、作家が違うのでどんな作品かわからないが、読んでみたい。さらに、もう一人の主要登場人物のデイジーから見た物語もあったら面白いかもしれない。

これも、小説がパブリックドメインに入らなければ難しかった。主要な主人公を使用しているので、許諾がなければできなかったのだ。パブリックドメインに入ったおかげで、その設定や登場人物を自由に使用することができる。

アメリカの著作権法は、何度も延長されてきた。現時点では、発表後95年を過ぎると、本でも音楽でも映画でも、パブリックドメインに入る。「グレート・ギャツビー」は1925年に発行されたので、2020年の今年がパブリックドメインに入った年だ。さらにこれは、正確に95年と言うことではなく、95年を過ぎた翌年の1月1日より、パブリックドメインと言う規定のようだ。

F・スコット・フィッツジェラルドは大好きな作家でだ。小説は全て読んでいる。アメリカに留学した際にも、たまたまそう遠くないところにお墓があるのを知っていたので、かなり早い時期にその墓地にも行った位だ。メリーランド州にあるその墓地は規模が大きくなかった。むしろ、小さな教会と小規模な墓地という、墓地らしくない感じの場所だった。写真も撮ったが、当時のフィルムの写真は探すのが大変なので手元にない。

小規模な墓地だったので、簡単に彼の墓地を見つけることができた。彼と妻のゼルダのもので、他の墓と比べても、たいして立派なものではなかった。ただ、墓の前に「グレート・ギャツビー」の最後の一節が刻まれていた。

“So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.”

その小説の1番印象深い部分でもあり、記憶していたが、墓石に刻まれるとなると、さらに重みを持って、いつも思い出す。

フィッツジェラルドは、1940年12月21日に亡くなっている。彼の遺作の「ラスト・タイクーン」は、未完だったので、遺稿のプロットを使って、友人が完成させて、出版している。ロバート・デ・ニーロ主演で映画化もされているが、私はこれを見ていない。見たのは、Amazon Prime Videoのバージョンだ。TVドラマの「ホワイト・カラー」の主役のマット・ボマーが主演していた。

1940年に亡くなったフィッツジェラルドの作品が、ようやくパブリックドメインになると言うように、アメリカの著作権法は何度も延長されてきた。昔は、著作権の保護期限は、著作者の死後50年と言うことだったが、これから何度か変更されてきた。

有名なのは、1998年のソニー・ボノ著作権延長法、またの名はミッキーマウス保護法と呼ばれるもので、ミッキーマウスの保護期間が終了する前に、著作権の保護期間を延長した変更と言われる。

この際に、1978年以前に発表された作品については.著作者の死後70年と決まっている。そして、その後、それらのすべての著作は、2019年まで保護されると言う形にさらに延長された。

現時点ではミッキーマウスの著作権の保護期間も2023年には切れるとされているが、これも今後延長される可能性もあると考えている。ミッキーマウスは、ウォルト・ディズニー社だけでなくアメリカの資産だから当然だろう。

ジョン・グリシャムの新刊が村上春樹訳

「ハッピーエンド通信」発見

本棚を整理していて「ハッピーエンド通信」を見つけた。2冊しかないが、もっと持っていたはずだ。そもそも記憶では表紙が4色カラーではなかったと思っていた。何度も引っ越しを繰り返しているので、まだ持っていたのは不思議だ。大学を卒業した頃に、先輩がもっと持っていたのを見て、自分でも買い始めた。

この頃は、常盤新平訳のアメリカの小説をたくさん読んでいた。アーウイン・ショーの「夏服を着た女たち」とかそういう類だ。

村上春樹も寄稿者

「風の詩を聞け」を読んだのと「ハッピーエンド通信」を買ったのがどちらが先か思い出せない。「ハッピーエンド通信」で見た村上春樹の小説を買って読んでみたというような気もする。「風の詩を聞け」は、それまで好きだった日本の文学とは違う世界に痺れていた。無国籍という言葉もよく使われたが、無国籍などという野暮な言葉ではなく、まるでどこか遠い星の話のように新鮮だった。それまで読んだどの日本の小説より洗練されていると感じた。その村上春樹が寄稿していたことも「ハッピーエンド通信」を特別にしている。きっと、千駄ヶ谷で経営していた「ピーターキャット」のカウンターで、「ハッピーエンド通信」の原稿を書いていたのかもしれない。

アメリカの文化についての情報は少なかった

この雑誌を中心で、編集し原稿も書いていたのは、常盤新平、川本三郎、青山南の各氏。それぞれが、アメリカの文学や映画文化に詳しい人たちで、その人たちが伝える当時のアメリカの最新のニュースが新鮮だった。ポパイは創刊されていたが、どちらかと言うとファッションやスポーツが中心で、文化的な情報は映画程度で少なかった。そういうことで、当時のアメリカかぶれの私にとっては、実に良い情報源でずっと買っていた。今と違って普通のメディアでは、アメリカの新しい情報など手には入らなかった。今ならネットを通じて何でもアクセスできるが、そのようなものもなかった。あったとしても当時の私は英語でものを読む気はなかっただろう。

紙質の良くない雑誌の小さな記事に驚いたり、仲間との会話に入れて知ったかぶりをしていた。

考えてみれば、「ハッピーエンド通信」やアメリカ文学などを通じてアメリカへの憧れが高じた結果として、1989年にアメリカの大学に留学することになる。しかし、これを買っていた頃は英語で情報を読む気もなく、仮にネットがあってもアメリカのサイトにアクセスをしなかったかもしれない。その後、結婚した妻の英語学習が伝染してついには留学までしてしまう。

原因か結果かわからないが、どうも、この頃の「ハッピーエンド通信」を読んでいることが関係している。

発掘した2冊

手元にある1980年3月号は、ミュージカルの「ヘアー」が映画化されると言う表紙で、村上春樹がスティーブン・キングについて書いている。面白いのは、その表記で、スティフン・キングになっている。それは、誰だという感じだ。その記事のなかで、村上春樹は”The Stand”を紹介しているのだが、調べてみると”The Stand”は1978年に発表されているので、この頃に日本で翻訳が出てたのかもしれない。当然、この頃には「キャリー」や「シャイニング」が映画にもなっていて、有名な作家だったから知らない人はいないのだが、今のあの膨大な作品群と名作の数々で偉大な作家になる前の段階だ。

もう1冊は1980年7月号で、アメリカの雑誌カタログと言うタイトルで様々なアメリカの雑誌が紹介されている。この号に筑紫哲也が、ウォルタークロンカイトの後任にダン・ラザーが決まったと言う文章を書いている。これが時代を感じさせる。

とりあえずこの2冊を読んで1980年を再体験してみよう。それから他の「ハッピーエンド通信」がないか探してみるが、もしかすると実家に送った大量の書籍に紛れているのかもしれない。やはりこの頃よく買っていた「ユリイカ」のバックナンバーを大量に送ったのを覚えているので、捨てられない雑誌ばかり一まとめに送っている可能性もある。

ともかく、2冊の「ハッピーエンド通信」で40年前を追体験した。

「日本語が亡びるとき」

日本という国がなくなっても、たとえば日本沈没というようなことが起こったり他の国に併合されても、日本語をしゃべり、「源氏物語」や「吾輩は猫で ある」を読んで日本の歴史と文化が残ればそれでいいかとも思っていたが、その思いはこの本を読んで崩れ去った。それは逆だった。国や社会が無くなれば言葉 もなくなる。言葉がなくなれば文化も消える。

日本語に限らずすべての国語は歴史と偶然の産物で非常に脆いものだということが分かったのだ。 日本列島がもっと中国本土に近かったら漢文が中心で漢文を中心に文化が発展し、漢字を日本固有の言葉に組み込んで日本語を生み出すことはなかったと著者は 書いているが確かにそうだろう。中国の影響下にあって漢文を使わなければいけないとしたら誰も日本語に注意を払わない。現に中国の強い影響下にあった韓国 とベトナムは科挙の制度を取り入れていた。科挙とは漢文を習得することに最大のエネルギーを使うことだ。すべてが漢文を中心に組み立てられる。

中国の影響を受けずうまく漢文を日本語に取り込んで国語を作り、それを最大限に利用できたことと、日本に文字を読んで楽しむ国民が多数いたことで日本の文学や文化は世界に誇れる水準になってきた。

百科事典の「ブリタニカ」の日本文学の項は、1万6千文字を使って日本文学が世界でもっとも主要な文学のひとつであることが説明されているという。確かにフランス語がまだ存在しなかった頃に「源氏物語」はすでに書かれていたことを昔習って日本人として誇りにしてきたものだ。しかし、今、誰が「源氏物語」を原文で楽しむことができるのだろうか。100年ほどしかたっていない漱石でさえ読むのが難しいのが正直なところである。

その誇るべき日本文学でさえ、優れた翻訳が作られ、英語になって初めて世界的に知られるようになったのである。川端康成や村上春樹が日本語で世界で読まれるはずはない。世界に受け入れられるのは英語でなければいけないのである。

19 世紀から20世紀にかけて起こった歴史の偶然が、世界の公用語をフランス語から英語に変え、そしてまたインターネットの登場によってこの流れは加速されて いる。日本人の作家が日本語で書くのは日本語でしかかけないからで、仮に英語も同等に使えるとしたら日本語で書くだろうか。

将来、英語でも書ける日本人の作家が生まれても、日本語で書くだろうか。仮に英語で書く日本人作家が英語で書く作品は日本文学だろうか。カズオ・イシグロは日本人の父母を持つが日本文学の作家ではない。

世界で共有されるべき文化活動や知識の集積は英語で行われるのが当たり前になってきている。その中で日本語で書かれるものは世界の文化の周辺のとるに足らな いものになってゆくのだろうか。すくなくとも、評価や金銭的な成功につながらないものについては、有能な人は英語で書くことが可能なら、現地の言葉で書く ことにエネルギー使わないことは明白でだから、英語でない文化や文学はだんだん活力を失っていくのだろう。

より効果的な英語教育の是非は 叫ばれていることは事実だが、それはどの程度か。シンガポールのように日本語を捨てて英語だけを教育すれば英語の能力は高まるだろう。どこまでやるべき か。つまり日本語を捨てるべきかどうか。世界の経済的文化的な融合は、日本語の将来を明白に示してるのは著者の意見だ。本当にそう思う。問題はそれがいつ かだろう。100年先か、200年先か。私たちもすでに100年前の日本語をすでに読めない。100年後の英語と融合した日本語も私たちは読めないだろ う。

この本を読んで引用されていた漱石の「三四郎」の一節が興味深かった。日露戦争が終わって3年後の1908年に連載されたその小説 で、漱石はロシアという大国に勝った日本に異常な自信をもった傲慢な日本人は亡びると予想している。日露戦争に勝って浮かれている日本人に警鐘にならした のだ。小説が書かれた37年後に日本は無条件降伏することになった。この小説のこの部分のことをすっかり忘れていたが、日本人は100年たった今も高度経 済成長を経てアジアの強国意識をさらに強めて今にも戦争しそうな勢いだが、漱石でなくても「亡びるね」と言いたくなる感じだ。

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写真はドレスデン

「20世紀の現代建築を検証する」

「20世紀の現代建築を検証する」は建築家と建築の専門家が20世紀の建築の歴史と流れを語る内容だが、素人建築ファンには知らないことが多すぎてちょっとレベルが高すぎ。それでも紹介される建築はカラー写真で、私でも知っている有名建築が出てくるのでそれなりに楽しめる。

面白かったのは、流行やそれに対するアンチテーゼや個人の趣味など様々要因が影響することや、時々出てくる有名建築家のエピソードなど面白い。建築のような巨大プロジェクトと言えども建築家の個人の個性や盗作的な創作で出来てしまうことが改めて良く分かった気がした。

とりあえずこの本のおかげで20世紀なら有名な建築がどのような流行や反流行で作られたかが分かる、網羅的かどうかは素人なので分からないが、良い本だ。

上の写真のロンドンの「ザ・シャード」は昨年の完成なので登場しないが、細長いコーンのような形をしてガラスの面が8面あるので8角錐ということだが、このような建築はどの流れに入るのか興味がある。

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幼年期の終わり

幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF (341)を読み終えたところにタイミングの良いニュース。

電子天体望遠鏡の能力が格段に上がっているが、それにつれて私たちの太陽系の外で新しい惑星がどんどん見つかっている。その数は数千の単位になっている。この数は宇宙の大きさを考えるともっともっと増えていくだろう
その最新の惑星は、プロキシマ・ケンタウリで見つかった惑星で、プロキシマ・ケンタウリbと呼ばれている。この惑星の太陽からの距離を考えると水がある可能性が高いそうだ。似たような環境の惑星はたくさん見つかっているが、最も近い太陽系で見つかったのは初めてだそうだ。最も近いと言っても4.25光年も離れているので近くもないが宇宙の規模で考えると近いということなのだろう。

近いと言っても現在の技術では、到着まで7.3万年かかるということで、新しい技術の航行システムで6年から14年ということだが、いつ実用化されるかも分からないので当面は、この惑星に生物がいても、その生物が高度に発達した技術を持たない限り、地球人がその隣人に会えるのはずっと先のことだ。

前に話題になったHD40307は、地球から44光年離れた場所にある。6倍近くも遠い。前にこのHD40307の周辺に3つの惑星が新た に見つかったが、その中のHD40307-gと呼ばれる惑星は太陽からの距離が、地球と同じく水が存在できるゾーンにあり、水が存在する可能性があると推測されるそうだ。つまり、そこには生命がいる可能性がある。これは、今回のプロキシマ・ケンタウリの惑星と同じ。

「幼年期の終わり」に出てくる NGS549672 は、りゅうこつ座の方向にある40光年離れた惑星である。小説では、ここから巨大な宇宙船にのって「上帝=Overload」と呼ばれる宇宙人が管理者と してやってくる。彼らは人類の進化と人類の種としての終わりに立ち会うというようなお話だ。古い小説だからネタバレは問題ないだろう。ちょうど読み終えた ばかりのタイミングで、地球から40数光年の場所に生命がいるかもしれない惑星が発見されたというニュースで驚いた。小説では、NGS549672 は地球より大きな惑星だが、HD40307-gは地球の7倍の大きさがあるそうだ。プロキシマ・ケンタウリbは大きさの記載は見つけられなかった。

HD40307-gが大きな星ということは空気や水があっても重力が強く、空気や水は重く、生物がいても地球の生物よりは小さいかもしれないと想像するがどうなのだろう。

小説の中に津波のシーンがあるが、読んだのが昔なので完全に忘れていた。あらすじと結末は当然覚えていたが、新しい小説のように楽しめた。ストーリーのつなぎかたなど前回読んだときは考えもしなかったが、うまくできている。クラークさんに申し訳ないほど偉そうだが、本当にそう思った。

この小説 を読もうと思ったきっかけは、先日飲んでいて話にでた日本人の運命からだ。アメリカの基地問題と中国との尖閣問題から、日本人の生き方を考えた時に、この小説のことが浮かんだのだ。戦後の日本には管理者としてのアメリカが存在していて、普段大抵のことは自由だがいくつか制限されていることがある。何がかは 明確ではないが、日本の国益とリンクするので、本当に制限されているのか、国益としてしない方が良いのかというあたりは良くは分からない。小説では、核兵 器を持つことや宇宙開発は制限される。その代わり、その指導により国別の政府が有形無実化し、産業が効率化し、世界はユートピアとなり人類は誰ひとりとし ての望まない労働を強いられることなく、好きな仕事を選んで働いている。また、交通システムも発達して、誰でも二か所に家を持ち、大抵は遠く離れた家を簡 単に行き帰しているというように幸福な暮らしをしている。

日本もまた同じように上帝のような存在があることは別にして、経済発展を遂げかな りの程度、世界の他の地域と比べれば国民の豊かさは確保されるようになった。だが、このシステムは内と外から崩壊しようとしている。一つは、国民の目標 だったり価値観の多様化に対応できないということ。さらに、このコップの中の安定をもたらしていたシステムが、つまりアメリカの存在が安定しなくなったと いうこと。小説では、人類は上帝に守られ見守られながら「進化」する。日本人も進化しなければいけないのだろうか。

小松左京の 「日本沈没」は壮大な日本人論の序章で、日本列島を失った日本人が世界を彷徨いながらアイデンティティを求める小説が、後から書かれる構想があったと聞い たことがある。これこそ、今の日本人が考えなければいけないことだ。「幼年期の終わり」では進化を遂げた人類は別の存在に姿を変え、地球を捨ててその歴史 も記憶も忘れ去り、別次元の高度な生命に進化する。日本人が同じように「進化」すべきなのかどうか。小説では、「種の進化」は、ある意味で「種の死」とし て描かれる。そういう進化をするのか、守らなければいけないものは何なのか。

「幼年期の終わり」の最後の人類の世代は、歴史上初めて人類と しての幸福な暮らしを実現する。それは、物質的な生活だけではなく、精神的にも幸福を追求することが実現できたからだ。、それは、人類の愚かな核戦争や宇 宙進出で、宇宙規模の災害を引き起こさないために管理者が派遣されたからこそ実現できた。管理されないと破滅的になってしまう人類が描かれているが、日本人はどうなのだろうか。

グローバル化とネットワーク化により、もはや日本人とは何かということを考えることがおかしいかもしれないと、ここ まで書いて思うが、どちらにせよ、日本人であろうとなかろうと自分のことを考えなければいけないのは事実なので、幸福を追求することと、自分はどこから来 てどこに向かうのかをみんなが考えなければいけないのは事実だ。

小説に描写される宇宙の果ての風景を読みながら、いつも身の回り3メートル のことばかり気にかけているが、それが何と視野の狭い生活かと思っていた。そこに最初のニュースの4.25光年先の惑星のニュースだ。何光年先まで考えられな いが、せめて地球的な規模で物事を考えなければと思った。

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蜂蜜とブラックスワン

大病を患った友人から免疫についての本のコピーをもらった。その本を手本にして病気がぶり返さないように免疫に気をつけて生活しているそうだ。参考 にということでいただいたので読んでみた。健康法にはきっと色々な理論や考えがあるのだろうが、この本では魚、野菜、木の子をたくさん食べて塩分はさける ということのようだ。個人的には理にかなった食習慣だと思うので可能なことは取り入れようと思った。

その中で一つ気になったのは、蜂蜜を免疫を高める食品として勧めていたこと。ずっと前に蜂蜜は砂糖と同じで何の栄養もないと読んだことがあり、ずっと蜂蜜を避けてきた。アイスクリームや砂糖は エンプティ・カロリーという言い方をするが、同じようにカロリーは高いが何の栄養素も含まれていない空っぽの食品と理解してきたのだ。

それ が、今回、免疫を高める物質が含まれていると紹介されて信じる気になったのは、きっとナシム・ニコラス・タレブの「ブラックスワン」の影響だ。その本の中で、何かがないことを証明するのは大変難しいという例として、かつては母乳には何も有益な物質は含まれていないと言われ、多くの人は母乳ではなく粉ミルクに換えたり、食物繊 維は何の働きもしないと言われ、重要視されてこなかったことが語られる。その食品のメリットの証明はできても、メリットの不在の証明は難しいのだそうだ。 だから何の効用のないと思われた母乳や食物繊維は重要な効能があることは後から分かってきた。

もちろんタレブは健康食品の話を書いた訳では なくて、歴史上にはかつて経験したことことがないような出来事や想像もできなかった現象が起こりえて、特に株価やあるサービスや本と言った社会的現象に起 こる不確実性について書いた。その例はたとえばキリスト教の爆発的な普及やグーグルの成功などだ。それを彼はブラックスワンと呼んだのだが、不確実性の予 測の際に、今まで無かったからとか、理論的に不在が証明できるからとかの理由でブラックスワン的なことが存在しえないということは間違っているということ を主張したのだ。何かが無いと断言することは、何かがあると断言するよりずっと困難なことだそうだ。

彼の主張のように蜂蜜に有用な物質が含 まれていないという証明は難しいということから、今まで空っぽのカロリーと思っていた蜂蜜を、このところ朝ごはんのパンにつけて食べている。本の重要なポ イントではなく、その不確実性の主張の説明のためのたとえ話に影響されて、あっさり宗旨替えというのも、ポイントを外しまくる自分らしいなと納得。今はスプーンに一杯だが毎朝食べている。だからと言って健康になった感じまはまだまったくない。

「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」

藤原新也と言えば私の世代だとシルクロードだ。そんな写真を見て初めて写真というものを意識した。シルクロード、メメントモリ、東 京漂流みんな好きだった。そんな意味で写真の力を知ったのは多分、藤原新也だ。特に普通のサラリーマンとしては、シルクロードがきっかけ起こったあの事件はある意味衝 撃だった。誰かに強い誰かに頭を下げ続けなくても生きていけるほど自由になれる可能性は藤原新也が教えてくれた。でもできなかったけれど・・・あのシリーズで人間は死んだら犬に食われるほど自由だと教えてくれたのだ。 「ヒト食えば、鐘が鳴るなり法隆寺。」今でもよく思い出す。理解はしたけど勇気がなくて実行ができなかったのは写真の力ではなくて自分のせいだ。

十数編の短編からなる本書は、冒頭の「尾瀬に死す」ら終編の「夏のかたみ」まで人間の生きると行くことを見つめた小説だ。芸大をやめて油絵を捨ててカメラを 持ってインドにいったいきさつをよくは知らないのだが、この短編集のどの作品にあるような生きるということを考えたのだろう。小説を書く写真家と言えば、 藤原新也でありちょっと若いと小林紀晴だが、このふたりはどこがちがっている。才能があり、精神的は自由をもっているということなのかもしれない。才能も なくいつも何かの奴隷のような私など想像もできない精神世界があるのだろう。

「死というものが人の命を捕えるのではなく、人の命が死を捕えるのだと」というのは登場人物のせりふだが、、よくは理解できないのだがなんとなく感じはする。忘れないようにしたい言葉だ。

それから、この本でしったニコラ・ド・スタールを今朝からネットで検索してみていたのだが、とても好きな絵だ。この画家を知ったことがおまけの喜びだ。もう少し資料を集めてたくさんにみたい。国立西洋美術館に所蔵されている絵があるそうなので近日中に行ってみたいものだ。

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