フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」の修復が完成

フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」の修復が完成して画像が公開された。以前に一部だけ公開されていた、後ろの壁のキューピットが完全に姿を現した。写真で見ると、後ろの壁にキューピットの大きな絵がかかっているので、構成的には、ややうるさい感じがする。あるいは、見慣れたこの絵のイメージと違うのでそう感じるだけかもしれない。

この絵が所蔵されているドレスデンのアルテ・マイスター絵画館に行ったのは2008年だったから、もう13年も経ったことになる。最近よく感じるように、本当に月日の経つのは早い。

このドレスデンの「窓辺で手紙を読む女」は、個人的には好きなフェルメールの作品のベスト3には入る。手前の抹茶色のカーテンの色と女性の服の袖が印象的で全体的に緑がかった色をしていた。

2017年までは、後ろの壁を塗り潰したのはフェルメール本人だと考えられていたので、画家本人が構成を考えて、シンプルにしたと思われていた。しかし、研究によって、後ろの壁を塗りつぶしたのはフェルメールの死後の事だと結論づけられた。このために壁の上塗りを取り除くことと、全体的な修復が行われたと言うことだ。

今回公開された写真で見ると、緑かぶりが取れて、クリアな抜けの良い画像になっている。絵の中の「赤が青は、緑かぶりが取れてはっきりとわかるようになって鮮やかな印象だ。しかし、それがかえってうるさい感じもする。これも修復前の印象にとらわれているだけかもしれない。以前は、壁が無地ということで、シンプルな構成で、緑がかっていたために、コントラストの低い絵だった。実際にこの修復された絵の前に立ってみるとまた違うように見えるだろう。

修復のビフォー・アフターの写真を両方を見ると、まったく新しい絵になっていることがよく分かる。この絵は、来年1月に東京都美術館で展示されると発表されている。例によって大混雑になるのだろうが、新しい絵になっていると考えると、これは行かなければいけない。学校の都合でいけるのは2月に入ってしまうがそれはかえって混雑を避ける上では好都合かもしれない。

フェルメールの作品分析

面白い記事を読んだ。パンデミックにより美術館の休館が続いているので、美術品の研究が進んでいると言うことだ。美術館が開館しているときは、来場者のために美術品を研究所に持ち込んで調査を進めると言うようなことができない。しかし長期にわたって休館していると、十分な時間をとって作品の研究ができると言う。美術研究にとっては不幸中の幸いと言うような事だ。

読んだのは、ワシントンのナショナル・ギャラリーのフェルメールのことだ。ナショナル・ギャラリーには、手紙を書く女性」、「天秤を持つ女性」、「赤い帽子の女性」、「フルートを持つ女性」という4作品が展示されている。この中に、個人的にも、多くの研究者も完全にフェルメールの真筆とは考えていない作品がある。1つは「赤い帽子の女性」、もう一つは「フルートを持つ女性」。どちらも他のフェルメールの作品のようにキャンバスには描かれておらず、板に描かれている。それに、ひと目見て、他のフェルメールの作品にあるような光のグラデーションや深みが感じられない。だからナショナル・ギャラリーでもフェルメールのものとは断定せずに、「Attributed to Vermmer」(考えられる)と言う断定しないような、曖昧な説明書きが付されている。

研究が進んでいるのは、この2作品についても同様だ。もう一つ驚いたのは、ナショナル・ギャラリーは、アメリカ空軍のU2のような偵察機用のカメラを開発している会社の研究者を雇って、美術品の研究をしているということだ。その会社のカメラは先日の火星探検の際にも使われるほど高性能のものだと言う。

絵画の分析に使われているカメラは、X線分光器カメラとでも訳すのだろうか。絵画分析のために作られている特殊なカメラで、反射してくる光の波長を分析して、絵の具に含まれている物質を特定できる。

反射してきた光の波長により、その絵画の絵の具の亜鉛、銅やその金属を測定したり、紅い絵の具に含まれるカイガラムシの測定もできるということだ。

それで肝心のフェルメールの作品の分析だが、結論から言うとまだわからない。分析によれば他の作品に比べて、下地の描き方が荒いなど、他の作品との相違点がいくつかあることがわかってきた。しかし、まだ結論が出せないと言うことだった。

興味を持って記事を読み始めたが、結論はまだ出せずと言うことで、少しがっかりな気分だった。

誰が描いたにせよ、作品が残っているわけで、フェルメールではなくても、あの作品が好きだと言う人もいるだろうから、どちらでも良いと言えばどちらでも良い。

個人的には、一目で、フェルメールでないと思ったから、フェルメールでないとしても驚かない。むしろ、もしフェルメールの作品と確定した場合には、ある時期の習作と言うことになるんだろう。

ワシントンDCには、一年ほどいたからナショナル・ギャラリーのことも思い出して、行きたくなったが、いつ行けるのだろうか。

「フェルメールと風俗画の巨匠たち」展@ルーヴル美術館、2017

フェルメールの絵を積極的に見始めたのは、1994年にニューヨークから帰国してからだ。それまでに、ニューヨークとワシントンで、そこにある作品は全て見ていた。帰国後、フェルメールの来日展が開かれると、必ず行っていていた。

その後、実際に各国美術館に足を運び、最後の「音楽の稽古」をバッキンガム宮殿で見たのは、2014年だった。「音楽の稽古」は、女王の休暇中の夏にしか、美術館が公開されないので、その時期にロンドンに行かないと見られないから時間がかかったのだ。それで、全作品の実物を見たことになる。残念なのは、ボストンのしかし、所蔵されている「合奏」は見ていない。1990年にイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館から盗まれたからだ。1989年にボストンに行ったが、空港からケープコッド方面に向かって、市内に足を運ばなかったことが悔やまれる。

実物は、全作品を見ているが、エディンバラのスコットランド国立美術館にある「マリアとマルタの家のキリスト」と、ドイツ、ブラウンシュヴァイクのヘルツォーク・アントン・ウルリッヒ美術館にある「ワイングラスを持つ娘」は来日展で東京で見ているから、この2都市はいつか訪問しようと思っている。

すべての作品を見ていたので、フェルメールの旅行は終了にして、カラヴァッジョの作品を見る旅を始めようと思っていた2017年にフェルメールの絵が12枚も集まる、パリのルーヴル美術館の『フェルメールと風俗画の巨匠たち』展のことを知った。35作品とか37作品といわれている彼の作品が12も集まるのは、多分今世紀中はないと思って出掛けた。忙しかったので、3泊5日の旅行で、事前に展覧会の予約を2日間分、日本から予約して出掛けた。すごい人気で、世界中から人が集まっていると聞いていたからだ。

 12作品と言っても、全てすでに見ているので感激はないのだが、何枚もの絵が並んでいるのは気持ちが良い。それに、12作品に初期の習作の4作品とワシントンの板に描かれた2作品が含まれていないのだから、満足度は高い。特に、普段は、パリとフランクフルトに別れて展示されている「天文学者」と「地理学者」が並んでいるのを見るのは、こんな機会でもないとありえない。

ちなみに、作品数が35作品とか37作品と書いたが、個人的には、ワシントンの板に描かれた2作品は、フェルメールではないと思っているので、35作品派だ。だから、習作と疑問の作品を除いた、主要作品31点の12だから、かなりの数だ。

ルーヴル美術館に、2回行って、それ以外の時間は、セーヌ川の堤防をあてもなく歩いていただけだった。

後世の上塗りとイメージの固着

鳥類の摺り込みの様に、一度見てしまうと、そのイメージに囚われてなかなか元に戻せないということがよくある。有名な絵画もそうで、修復されて違う絵になって、イメージと違うということがある。

有名な絵画の作品が、後世の修正により全く違うものになってしまっていたということがある。何年か前にスペインで話題になった様に、修復で絵画の人物の顔が漫画の顔になってしまうような失敗の例がたくさん報道されている。これは、例外だが、それくらい別もになっているということだ。

ダヴィンチの最後の晩餐のようなフレスコ画は、修正が基本的にはできないので、上に何かが書かれたと言う事はあまりない。しかし、油絵具は、上塗りが効くので、何かを塗りつぶしたり描き足したりと言うことが普通に行われてきたようだ。ダビンチは、作品を完成させず、ずっと上に描き足していたが、これは本人によるものなので別。

フェルメールの絵でも、ドレスデンの「窓辺で手紙を読む女」は、後世に壁に描かれていたキューピットを上塗りで隠していた。これは1979年にX線調査でわかっていたが、実際にその上塗りを修復により除去して、キューピットが現れたのは2019年だった。現れたキューピットは、フェルメールの所蔵で、ロンドンにある「ヴァージナルの前に立つ女」の背景に描かれているキューピッドの絵画と同一だ。

ドレスデンに行って、アルテ・マイスター絵画館で、この絵を見たことを思い出す。実物は、全体の色味が落ち着いていて、それが背後の壁とマッチしていて良かった。個人的な好みで、上位に入る絵だ。その時の事や、今まで画集などで見てきたイメージが固着しているので、巨大なキューピットの柄がある空間よりも、ただの白い壁の静かな空間の方が好ましい。ただこれも、最初に見たイメージにとらわれているからで、フェルメールの美意識ではない。本人もそのような修正を望んでいなかったはずなので、上塗りされた壁が取り除かれたことを喜んでいることだろう。

これと同様で、絵ではなくとも、今まで信じていたことが間違っていると解っても、気持ちの上では、それを、そのまま見ることは難しい。歳をとると余計にそうなので、毎日、新しい目で物事について、フラットに見る様に心がけたいものだ。

フェルメールと手紙

デルフトへの旅行中に考えたことのひとつ、手紙について。

フェルメールの30数作品のうち、6作品が手紙をテーマとしている。ドレスデンの「窓辺で手紙を読む女」、アムステルダムの「青衣の女」と「恋文」、ワシントンの「手紙を書く女」、ニューヨークの「女と召使」、 ダブリンの、今回来日中の「手紙を書く女と召使い」がそれらである。

フェルメールが手紙のシーンを描いた訳

手紙を読んだり書いたりするという行為をフェルメールや同時代の画家たちが取り上げたのは、当時の最先端のファッションではと考えた。彼らの時代には、今の携帯メールのように新しい物だったから、何度も取り上げたのだろうと思った。しかし、問題はどれほど普及していたのだろうかということ。つまり文盲率と郵便制度の問題である。

文盲率の問題については、実はあまり問題ではない。なぜなら、フェルメールのパトロンは上流階級に属する富裕層であるため、教育水準は高いはずだ。読み書きの問題はないだろう。さらに17世紀のオランダは経済成長とバブル経済の中で急激に教育水準があがり、出版も他の諸国に比べると活況だったようだ。つまり、生活が豊かになったために、関心は珍しいチューリップの球根の売買にも向かったが、本を読んだりすることにも向かったということのようだ。だから、手紙を読んだり書いたりということは全く問題がない。

オランダは、郵便先進国だった

手紙のデリバリーの郵便システムについては、オランダでは諸外国に先駆けて、フェルメールの時代の17世紀初めに近代的な郵便システムが確立していたそうである。

手紙は紀元前よりヨーロッパや中国に存在する。ただし、基本的には公文書などの目的のために使われていただけで、個人が個人的な目的で使えるものではなかった。 16世紀に神聖ローマ皇帝の許可を得たタキシス家がヨーロッパ全体でタキシス郵便を始めていたが、一般的に手紙が使えて個人的な感情を手紙を通じて送れるようになったのは、17世紀のオランダの近代郵便制度が最初だった。イギリスは遅れること1世紀、日本も遅れること2世紀たって近代郵便制度が確立された。

郵便制度はラブレターを送るために作られたのではなく、当時のオランダの経済的発展と商取引の増加のために、効率的なビジネスのコミュニケーションとして作られたはずだ。この制度を制度を利用して、個人が個人の思いを伝えるために手紙を書くといいうことが始まったのだろう。

大航海時代

フェルメールが生きた当時のオランダは大航海時代のまっただなかで、国内外での人の移動や海外滞在も増加して、遠くに離れて住んだり旅行をする人が増えていただろう。しかし、たとえ遠くに暮らしていても、手紙という方法で安価に史上初めて個人が個人的な気持ちを伝えることができるようになっていた。同じように、近くに暮らす人にとっても人目につかず、心を伝えることも手紙によって出来る様に、結果的になった。

フェルメールや同時代の画家たちが描いたのは新しい時代の人間の新しいコミュニケーションだった。息を潜めて、自分宛の手紙を一心に読む女性、想いを手紙に込めてペンを持つ女性、手紙を受け取った瞬間の喜びと内容へのおそれ。フェルメールの作品の中の女性は現在の私たちの姿でもある。誰にとっても、もっとも心を揺さぶられるコンテンツは、ハリウッドの映画や音楽ではなく、家族や恋人からの個人的なメッセージだからである。

オランダでは、「世界は神が創ったが、オランダはオランダ人が造った」と言われているようだ。低い土地に堤防を巡らして国を造ったオランダは、その貧弱な国土による生産力をカバーするために、貿易に道を求め、アジアや新大陸まで人を送って産品を求め、国力を発展させた。ニューヨークも初めはニューアムステルダムだった。そういう時代、単身赴任で海外に仕事に行っていた人が家庭に手紙を送ったのだろう。

フェルメールの画の中の画中画に海を航海する船が出てきて、それが嵐の海なら、その恋が不安定なこと、凪いだ海なら安定していることを暗示していると解釈されているようだが、それもあるかもしれないが、もっと単純に遠くへ行った家族、恋人からの手紙ということをまず提示しているのだと思う。

小さな国をカバーするために世界中まで出かけて貿易に道を求め、教育水準が高く、 経済が発展を遂げたが、世界最初のバブル崩壊を経験した17世紀のオランダは、まるで20世紀の日本を思わせる。

21世紀の日本や世界では、手紙を読むことは少なくなり、もっぱら電話とメール。フェルメールが今、生きていたら、想いを伝えるどんな一瞬を描くのだろうか。

フェルメールのカメラ

Vermeer’s Cameraをやっと読んだ。フェルメールの絵は、その色調、光の表現、精密さと曖昧さの融合などが、他のどの画家とは違っているために、カメラ・オブスキュラの使用が推測されてきている。ただ賛否両論で結論はでない問題ではある。なにせフェルメールに関する記録はあまり残っていないのだ。これは、当たり前と言えば当たり前で、日本でもフェルメールと同時代の江戸時代の初めに生きた人の詳細な記録などほとんど残されていないからだ。

著者のSteadmanさんによれば、カメラ・オブスキュラを使ったと考えられる理由はいくつかあり、それらの理由は以前より何人もの学者が唱えてきたものだ。彼の整理によれば、カメラ・オブスキュラを使った結果とされるフェルメールの絵の特徴は以下の通り。

1)レンズを通して見た時に起こるピンボケがあること、

2)広角レンズで起こる画面のゆがみが見られること(手前の人物がかなり大きく表現されることも含む)、

3)ハイライトの光が分解してハレーションのような光になっている、

4)全体的にぼんやりとした色味で柔らかい感じになっていること

それに対する反論はいくつかあるが、一番大きいのはフェルメールが死んだ時の遺産目録が残されていて、家具や絵はもちろん衣類に至るまで詳細な目録になっているのにかかわらず、 かなり高価だったはずのカメラ・オブスキュラが入っていなかったことだ。あるいは、17世紀初頭はカメラ・オブスキュラの黎明期にあたり、この最新技術がまたデルフトまでは伝わっていなかったとか、いくつも反論はある。このあたりの理由には、あの素晴らしく美しく静謐な絵を描いたフェルメールが道具の手を借りて、つまりインチキして作品を作ったと思いたくないという心情も含まれるかもしれない。個人的には、カメラ・オブスキュラを使うことはインチキだとは思わない。

フェルメールが描いたスケッチなどが残されていなかったり、キャンバスの下絵もないということをカメラ・オブスキュラの使用の理由としている。これに関しては、先ほどのカメラ・オブスキュラが遺産に残されていなかったことの反論にもなるが、フェルメールは室内に小さなブースを作って、キャンバスを置き、そこにカメラ・オブスキュラの像を写して絵を描いたということ推論を行っている。これを立証するために絵の中の室内の描かれている範囲を計算して、それをカメラ・オブスキュラのレンズを使って、カメラ・オブスキュラのブースの中に投影すると絵のキャンバスのサイズと一致することを証明した。このあたりは工科大学の建築学の教授の面目躍如だが、非常にスリリングな読書だった。

検証の対象になった「音楽のレッスン」は、バッキンガム宮殿の所蔵で、実物を見るまで随分時間がかかった。女王の夏休みの期間に開催される美術展の時にしか公開されないからだ。夏のある期間にロンドンに行くというのは、なかなか難しい。そんな訳で、フェルメールの絵の実物を見て回った時に、一番最後になった。

東京のフェルメール

Dublin

フェルメールは17世紀のオランダの画家である。活動期間は20年ほどで現存する作品は最大37点と言われる。3~4点は真筆ということに関しては意見が分かれている。その数少ない作品が2015年オークションに出され、日本人と思しき人が落札され、今年、世界遺産登録で話題になっている国立西洋美術館に寄託された。ついにこれで日本もフェルメールが見られる国になったことは喜ばしい。フェルメールがいつでも見られる街に住むということはなんと素晴らしいことか。

その作品、「聖プラクセディス」は、真筆かどうか意見が分かれている作品であるのは残念だが、世界的にも人気の高いフェルメールがそもそもオークションに出ることは考えられないので、これは仕方ない。11億円といわれる価格で落札して国立西洋美術館でみんなに見せてくれるとはなんと素敵な人だろうか。

1990年代の初めにニューヨークで初めてフェルメールを見て以来、作品を見てきたが数年前までにすべてを見ることができた。最後の作品は、バッキンガム宮殿の「音楽のレッスン」だった。これは、イギリス王室が夏の休暇中にだけ、その美術館が一般公開されるのでタイミングが合わないと見るのが難しいし、貸し出しもされないので最後まで残っていた。

フェルメールはその光の表現と独特の静謐な雰囲気のある作品で世界的に人気があり、特に日本では人気が高い。私も19世紀の印象派以前の絵は特に有名なものを除いて宗教画という先入観があってフェルメールのような風俗や日常生活を描いたものはよくは知らなかった。それが、すっかりはまって、日本では有名なフェルメール巡礼を始めることになった。これは、所蔵されている美術館に行って作品を見るというもので、せっかく行っても貸し出されているというようなことがありなかなか実現が難しい。20年かけてすべて作品をみることができたが、まだ現地で見ていないのは、ドイツのブラウンシュバイク ヘルツォーグ・アルトン・ウルリッヒ美術館の「二人の紳士と女」、ロンドンのケンウッド・ハウスの「ギターを弾く女」、エディンバラ 国立スコットランド美術館の「マルタとマリアの家のキリスト」だ。あと三都市の訪問が残されている。

でも、盗難中のボストン イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館の「合奏」は見ることができないし、個人蔵の「ヴァージナルの前に座る若い女」も行って見ることはできない。

○は現地で鑑賞、

△は貸出された美術館で鑑賞
■ アムステルダム 国立美術館
1.「牛乳を注ぐ女」
2.「手紙を読む青衣の女」
3.「恋文」
4.「小路」
■ハーグ マウリッツホイス美術館
5.「真珠の耳飾りの少女」
6.「ディアナとニンフたち」
7.「デルフトの眺望」
■ブラウンシュバイク ヘルツォーグ・アルトン・ウルリッヒ美術館
8.「二人の紳士と女」
■ ベルリン 国立絵画館
9.「紳士とワインを飲む女」
10.「真珠の首飾りの女」
■ドレスデン 国立絵画館
11.「取り持ち女」
12.「窓辺で手紙を読む女」
■フランクフルト  シュテーデル美術研究所
13.「地理学者」
■ ウィーン 美術史美術館
14.「絵画芸術」
■  パリ ルーブル美術館
15.「レースを編む女」
16.「天文学者」
■ロンドン ナショナル・ギャラリー
17.「ヴァァージナルの前に座る女」
18.「ヴァージナルの前に立つ女」
■ケンウッド・ハウス
19.「ギターを弾く女」
■英国王室コレクション
20.「音楽のレッスン」
■エディンバラ 国立スコットランド美術館
21.「マルタとマリアの家のキリスト」
■ダブリン アイルランド国立美術館
22.「手紙を書く婦人と召使い」
■ワシントンDC ナショナル・ギャラリー
23.「手紙を書く婦人」
24.「天秤を持つ婦人」
25.「赤い帽子の娘」
26.「フルートを持つ娘」
■東京 国立西洋美術館
27.「聖女プラクセデス」
■ニューヨーク メトロポリタン美術館
28.「水差しを持つ女」
29.「少女」
30.「眠る女」
31.「窓辺でリュートを弾く女」
32.「信仰の寓意」
■フリック・コレクション
33.「兵士と笑う娘」
34.「稽古の中断」
35.「婦人と召使い」
■ボストン イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館
36.「合奏(盗難のため行方不明) ×
■ 個人蔵 (場所不明)
37.「ヴァージナルの前に座る若い女」

写真は、すでに東京で見ていた「手紙を書く婦人と召使い」を見に行ったダブリンで。