奈良原一高「宇宙への郷愁」写大ギャラリー

中野の写大ギャラリーまで、昨年亡くなった奈良原一高さんの写真展「宇宙への郷愁」に出かける。いつもなら自転車だが、しばらく乗っていなくて、空気が全く入っていなかったので歩いて出かけた。片道約40分。天気も良かったのでカメラを持って撮影がてら歩いた。

好きな写真家の1人である奈良原一高さんの写真はいつ見ても素晴らしい。ただその一言。いつの時代のプリントかわからないが、プリントも美しい。そのキャリアを通じてのシリーズが網羅されている。今まで何度も見てきた有名な作品ばかりなので、イメージとしては見慣れている。しかし、実際のプリントを見るのとはまた違う。先日のユージン・スミスといい奈良原一高といい、モノクロのプリントの粒の美しさが際立っている。やはりモノクロプリントの美しさは、黒の深みと階調の豊かさと粒状感だ。

もちろん、その美しさはプリントの美しさだけではなく、どのシリーズでも被写体をとらえるタイミングや構成から作られたイメージの強さは、見るものを捉えて離さない。いったい、1枚1枚の写真を撮るのにどれくらいの時間をかけたのだろう。「消滅した時間」と題されたシリーズのタイトルのように、驚くような瞬間が固定されている。確かに、時間は消滅して、それが私たちに提示される。まさに、写真にしかできないことが奈良原一高さんによって行われていた。

11月まで続く展示が始まったばかりなので、会場には自分も含めて最大3人しかいなかった。おかげで時間をかけてゆっくりと作品を楽しめた。

さすがに大学のギャラリーだけあって、いつも良い展示を行っている。もう少し出かけものだが、今は休みの時しか行けないのが残念だ。

会場には、インクジェットのカラーの作品や実験的な作品が展示されており、写真家としての幅の広さがよく分かる展示なっている。

「宇宙への郷愁」の会期は、9月13日〜11月20日まで。

ユージン・スミスのプリントの美しさ

ジョニー・デップが製作・主演するユージン・スミスの映画が9月23日から公開される。「MINAMATA―ミナマタ―」という作品で、タイトル通り、水俣病がテーマだから、水俣を始めとする日本が舞台だ。

ユージン・スミスは20世紀を代表する写真家だ。 第二次世界大戦の取材や多くのヒューマンドキュメントの写真を撮った人だ。彼がどのようなきっかけで水俣病に興味を持ったのかわからないが、彼の写真によって多くの人がその悲惨な状況が伝わり、事態の解決に貢献したのは事実だと思う。

その水俣病と関わってる時期のユージン・スミスをジョニー・デップが演じると言うことで、多くの人に環境問題についての改めて認識させる映画だ。といってもまだ見ていないからよくわからないのだが。

その映画に合わせて、時々出かける御茶ノ水のバウハウスでユージン・スミスの写真展が行われているので出かけた。

最初に書いておくと、この写真展にはユージン・スミスの水俣の写真集は展示されていない。水俣の作品については、被害者のプライバシー保護のために、ユージン・スミスの意思で展示が行われなくなっていると聞いたことがある。

バウハウスの展示では、ユージン・スミスのキャリアを通じての様々なシリーズが展示されており、写真家としてのユージンスミスの全体像が見られる展示だ。今まで印刷物などで見た有名な作品がたくさん含まれており、非常に見ごたえのある展示だった。

ユージンスミスのプリントを見たのは今回が初めてだった。一言で言うとすごいプリントだ。銀塩の粒子が美しく、ハイライトから漆黒までトーンが非常に美しい。同じようには焼けないが、早くプリントを再開したいと思った。

最近はコロナ禍で、ギャラリーに出かけていないのでモノクロの美しいプリントを見るのは久しぶりだった。しかもユージン・スミスで、その有名な作品が並んでいる。いつまでも見ていたいような気持ちになる。しかも、平日の昼間だったので私以外に誰も会場にはいなかった。

バウハウスはいつも無料で展示が見られるのだが今回は入場料が800円。しかし、内容から言うともっとお金を取ってもいいような気もする。

販売価格については担当者にお尋ねくださいと書いてあったので、興味本位に聞いてみると多くのの作品は200,000円と言う事で、一部、有名な作品については300,000円と言うことだった。1番高い作品について話を聞いてみると500,000円。確認をしていないが、有名な硫黄島の爆発のシーンの写真がサイズも大きく、多分それが500,000円の作品だと思われる。

戦争の爆発のシーンなので、家に飾るのは少し気分的に受け入れ難いが、プリントの美しさだけ見ると手に入れてみたいものだと思った。ユージン・スミスで有名な作品で500,000円と言うのはお買い得の気もする。11月まで展示が行われておるがいるが、すべて一点なので販売された場合にはもう手に入らない。多分映画が公開された後は、たくさんの人が訪れてかなりの確率で売れていくのだと思う。

今まで買ったことのあるプリントはすべて100,000円以下なので、200,000円と言うのは写真で払った金額よりはるかに高いが、ユージン・スミスの作品であり、かつプリントとして美しいと言うことを考えると決して高いものだと思わない。とは言え、写真関係で購入を検討しているものがありそちらは諦めるかどうかを考え中だ。

窓に展示されている写真は、シュバイツアー博士

写真の瞬間

写真史に残る有名な写真集はいくつかあって、その一つはアンリ・カルティエ=ブレッソン の「決定的瞬間」だ。英語のタイトルはThe Decisive Momentで直訳。ただしフランス語のオリジナルのタイトルは「逃げ去るイメージ」で瞬間は入っていない。しかし、逃げ去るという言葉には短い時間のニュアンスは入っている。つまり、ブレッソンがとらえたのは現実の瞬間だということだ。

写真は瞬間を写すということになっていて、人間の目では捉えない瞬間を固定できるという効果があるとされる。有名な事例はスピードを出して走る馬の脚が常に地面についているかどうかについて懸賞が出て、それを連続写真を撮って脚が地面についていない瞬間があることを証明したということがあったらしい。

しかし、それは瞬間だろうか。数学でいう点や直線が現実世界に実在しないように、概念的な瞬間は写真では写されていない。写っているのは何百分の一だったり何千分の一だったりする、かなり短い時間が写されているに過ぎない。上の写真は三十分の一のシャッタースピードで撮られているので、その短い時間に車は動き、人も少し動いている。ここに写っているのは瞬間ではない。もっと早いシャッタースピードでも八千分の一とかだから、厳密な意味では瞬間ではない。

瞬間らしいものを撮ったのではない写真で思いつくのは、杉本博司の「劇場」のシリーズとアジェのパリの写真だ。アジェの写真は当時のフィルムの感度の問題で長い時間の露光をしたので動く人は消えてパリの街角だけが写った。杉本さんの「劇場」は映画を一本撮るために2時間露光しているので、映画は単なる白い画面になり人影は完全に消えている。アジェの写真は瞬間の概念とは関係なく街を撮ったものだが、杉本さんの「劇場」は瞬間ではない時間の長さを意図して撮られた時間が写る写真だ。

そういえば、伊島薫の「一つ太陽 – One Sun」も一日かけて太陽の動きを撮った写真だから、瞬間ではない写真を撮ったものだ。無知なゆえに知らないだけで事例はたくさんあるのだろう。

江の浦測候所

杉本博司さんが開設した江の浦測候所をようやく訪れた。2017年10月オープンだから、3年半経っている。ずっと忙しかったし、コロナ禍のために訪問を延ばしてきた。

家人が行くと言うので、車で行こうとしていたが、前日になって体調が悪いと言うことで、結局一人で行くことに。ゆっくり写真を撮ることができたので、その方が良かった。一人で行くことになったので、新宿からロマンスカーで小田原に行き、そこから東海道線に。根府川から歩くと40分と言うことだったので、行きは無料バスを利用して、帰りは歩いて帰ってきた。江の浦測候所から、根府川漁港まで降りて、地魚を食べることができて、非常に満足な日帰り遠足となった。

好きな写真家というと杉本博司が、まず出てくる。一番最初に出会った「海景」のインパクトは大きかった。最初に写真家tpして知ったが、今は写真家の枠を大きく超える現代美術アーティストとして認識している。

写真だけで言っても、いくつもあるシリーズのコンセプトが明確で、コンセプトが先にあり、それから作品制作に入ると言う点で、アーティストと言う言葉がふさわしい。ニュートンによるプリズム実験の再現を目指して、土蔵の白壁に映る光をポラロイドで捉えた作品のOpticksのシリーズを京都に見に行きたいと思ってるが、コロナ禍で行けなかった。

それで、江の浦測候所だが、ここは、杉本博司が集めた日本の文化財を展示する場所のように見えて、展示しているのは、そこから見える空と海だ。まるで、「海景」のように少し湾曲した水平線が見える。訪れた日は春の快晴だったので、真っ青な空と海の光が美しい。

できれば、夜明けか夕暮れに居たい場所だが、開館時間や東京との距離を考えると難しい。名前に付いているように「測候所」として、海と空の光をみる場所なのだろう。

それは、建築にも現れていて、冬至の日の出が差し込む入り口などが配されている。

元はみかん畑だったと言うが、今でも建築物がないエリアにはみかんの木が残されており、実際にみかんも売られて居た。

雨の日は大変そうだが、できれば曇りの夕方にでもまた行って見たい。

川内倫子「M/E」を見に行く

川内倫子の日本橋三越での展示を最終日に見に行ってきた。

今回の展示は、アイスランドで撮られたM/Eと言うシリーズ。M/Eは、”母なる大地”=「Mother Earth」と言うことらしい。アーティストを単略的に理解するのはいけないが、結婚・出産をしたことと関係があるのだろうか。

作品は、天地が120センチもある大きなもので、記載はないが、多分前回のHaloと同じくデジタルでとられているのだろう。縦位置の写真が中心。氷河の氷に当たった光などは初期のイメージを彷仏とさせる。それは、川内倫子らしい作品だ。やはり、川内倫子は光のアーティストだと思う。

同時に前回のHaloのシリーズの作品も並んでいる。こちらは、横位置が多い。

Haloのシリーズと今回のアイスランドを見て思うのは、こちらの勝手な思い込みだが、川内倫子には海外ではなく日本の日常の中に見られる普段気づかないようなイメージを見つけてきてもらいたいと言うこと。

アーティストには失礼な話だが、初期のイメージに引きずられているのか、アイスランドやブライトンといった自然を対象にしたような写真には、川内倫子らしさが感じられない。

Haloのシリーズの祭りや鳥、空と言うモチーフは好みと言えば好みなのだが、私が川内倫子に求めているものとはちょっと違う。

求めていると言うのも失礼な話だが、日常生活の裏に隠れている様々なイメージを見つけて提示するのが川内倫子のアーティストつの能力だと思っているからだ。

そういう意味で、以前の「あめつち」もあまり好みではない。しかし多分こういうのは、変化しているアーティストにとって初期のイメージを求められても困ると言う事なのだろう。

しかし、大抵の場合は、ファンと言うのはそういう人が多いものだ。思い込んだイメージを常にアーティストに求める。勝手なものだ。

実は三越のギャラリーに入ったのは初めてで、様々なコーナーで何人かの作品が展示されていた。もちろんこれは販売のためのギャラリーなので、すべて値段がついて売られているものだ。ちなみに川内倫子の作品はフレームがついて100万円と少し。どうしても欲しいと言う作品ではないが、金銭的にも難しいのは事実だ。海外でも人気のある川内倫子だから、エディションがない作品ではあるが100万円と言うのは、もしかしたら、お買い得なのかもしれない。

日本橋三越を出て、陽気も良かったので、ぶらぶら歩いていると日本橋桜通りまで出てきた。その通りでラグビーのイベントをしてから、もう5年ぐらい経つのだろうか。桜はまだ満開で、ビルの窓に反射した光が美しかった。

渡部さとる「銀の粒」@ギャラリー冬青

ギャラリー冬青まで、渡部さとるさんの「銀の粒」というタイトルの展示を見に行ってきた。

ギャラリー冬青のある新中野は、自宅から電車で不便なところにあるので自転車で行った。コロナウィルスの緊急事態宣言が出ているので、自転車に乗り電車に乗りたくないと言う理由も少しはある。

渡部さとるさんの「銀の粒」展示は、1月8日から始まっているのだが、すぐに出かけようと思ったが、緊急事態宣言が出ていたので、行っていなかった。しかし会期も1月30日までと終わりが近づいてきたので、ようやく足を運んだ。

ギャラリー冬青が、今年いっぱいで事業を終了するそうだ。毎年1月に行われてきた渡部さんの展示も、ギャラリー冬青では今回が最後になる。

「銀の粒」と題されて、フィルム写真感が前面に出ているタイトル。撮り下ろしではなく、今までの渡部さんの作品から選ばれたものが展示されていると言うことだった。だから、展示されている作品の中には、今までにも拝見した作品や、全く同じカットではないが他のシリーズに入っていたものと思われる作品が何点かあった。今までの展示と違うのは、スクエア・フォーマットではないと言うことだ。主に縦長で、何点かは横長の作品になっている。

これについては、渡部さん自身がYouTubeのチャネルの中で説明されているが、写真そのものはスクエア・フォーマットだが、ブックマットで、その枠を出していると言うことだった。つまり、作品の1部しか見せていないのだ。

個人的には、何点かの写真は、スクエアのフォーマットで見たいと言うものがあったので、ちょっと残念な気がした。

渡部さんの作品を、一軒家で雰囲気が良いギャラリー冬青で見るのも今回が最後かと思うとちょっと寂しい気がした。しかし、ご本人がYouTubeチャンネルの中でおっしゃっているように、固定の場所ではなく移動式の展示スペースを検討されていると言うことなので、来年以降も作品展を期待したいと思う。

渡部さんを知ったのは、北京にいるときにブログを読んだからだ。それで「感度分の16」と言う言葉に反応して、「旅するカメラ」のシリーズの何冊か著書を読んで、モノクロフィルムの世界に関心を持った。北京から帰国して、渡部さんが当時行っていた「ワークショップ2B」に参加しようとしたら、非常に人気が高くて、最初の年には入れなかった。そして再チャレンジして、晴れて「ワークショップ2B」に参加できたのは、2010年のことだった。

「ワークショップ2B」で、フィルム写真のこと、暗室作業だけではなく、写真史・美術史について学んだ。渡部さんは、アートのありかたや捉え方について造詣が深いので、お話を伺うのは、本当に楽しかった。

「ワークショップ2B」では受講後にグループ展を行うことになっていて、それにも参加した。それが、東日本大震災が起こった直後の2011年3月だった。余震や放射能の恐怖に怯えながら、会場の渋谷の「ルデコ」に行ったことを思い出す。

昨日も、渡部さんとモノクロフィルムの値上げやフィルムカメラの今後について話した。フィルムには厳しい状況になってきた。まだまだ家の防湿庫には、使っていないフィルムカメラが何台もあるのだが、昨年1年でフィルムを使ったのはリスボンに旅行に行った時だけだ。それ以外は全てデジタルカメラを使っていた。

それ以上に、もう何年も使っていないカメラがあるので、昨日も話にでた新宿のキタムラに売りに行こうかと思った。ライカの35mmのフィルムカメラは、M3、M4、M5、M6とCLがあるが、M5とCLはほぼ使ったこともない。防湿庫のスペースを空けるためにも、もう手放す時期かもしれない。

渡部さんの「銀の粒」の作品を見て、今年はもう少しフィルムを使おうかと考えながら帰ってきた。モノクロフィルムは、今年から値上がりしたが、家の冷凍庫には前に買ったフィルムがまだかなり残っている。問題は、環境問題に対応するために、自宅でのフィルム現像やプリントをやめてしまったことだ。渡部さんによれば、廃液の回収も今まで行っていた会社が止めてしまったので、今はできなくなっていると言うことだ。そうすると自宅では、現像液などは使えない。フィルムの値上げだけではなくて、他にもフィルムを使っていくためには解決していかなければいけないことが多い。

「その写真は良い写真ですか」、「写真で何がやりたいのですか」白岡順さん

部屋の整理をしたら、たくさんの試し焼きのプリントが出てきた。前に大量にモノクロのフィルムのプリントをしていた。その時の名残だ。

北京にいた頃に、「感度分の16」という言葉から渡部さとるさんのブログに行き着き、そこからモノクロフィルムのプリントに興味を持った。帰国後に渡部さとるさんの「ワークショップ2B」に通ってモノクロプリントの基礎を習った。「ワークショップ2B」は修了後に、別の形のプログラムがない。渡部先生も、終了後の面倒は見ないと明言されていた。

それで、写真を学び続けるために、「ワークショップ2B」の修了生の何人かが行っていた、市ヶ谷のカロタイプを訪ねた。その時に初めて、白岡順さんにお会いした。実はその時点までは、白岡順さんのバックグラウンドをほとんど知らなかった。お会いしてみると、非常に優しい感じで話しやすかった。カロタイプは、その頃は、まだカラーのプリントもできて、モノクロも4人が同時に暗室を使うことができた。大きなテーブルのあるスペースでは、いくつかの講座も行われていた。

私が参加したのは、中級暗室講座と言うクラスで、「ワークショップ2B」OBの2人と一緒に3人で、フィルム現像からプリントまでを習った。

その過程で、写真について話をしたり、プリントを見てもらった。一回の例外を除いて、私の写真について良いとか悪いとかの評価をされたことはなかった。その一回の例外と言うのは、夜に新宿の雑踏を歩く、たくさんの人影を撮った写真についてだった。その写真についてだけ、このような写真を撮るのはもうやめましょうとおっしゃった。

その意味を、理由を聞くことなく理解した。先生は、常々から、「対象をよく見て、それを正面から捉えて表現する」と言うなことを、おっしゃっていたので、すぐにわかったのだ。

夕闇の街の雑踏と言う雰囲気だけの写真について、何も表現していないから、やめたほうがいいということを瞬時に理解できた。その後も、数百枚、ひょっとすると1000枚を超える写真を見ていただいたが、1度もその写真の評価めいたことを口にされた事はなかった。

口癖は、「この写真は良い写真ですか」だ。つまり良い写真かどうかを決めるのは作者自身であって、他人ではないと言うことだ。そして、もう一つの口癖は、「写真で何がやりたいのですか」。

口癖と書いたが、これは決して、白岡先生の口癖と言うことではなく、写真を撮って作品を作ると言う際に、考えなければいけない2つの大事なことだからだ。常に、この2つのことを考えろと言うことを、教えてくれていたのだと思う。

その頃に比べると、写真を撮ることも減ったし、モノクロフィルムを使って、写真を撮ることも年に数度になってしまった。しかしどんな時でもカメラを出すと白岡先生の言葉を思い出す。

中級暗室講座が隔週で行われ、その終了間際に、終了後にどういうことをすれば良いか尋ねたところ、週末に行われている講評講座に参加すると言う方法もあることをおっしゃった。とりあえずの見学を勧められて、一度、見学に行った。そして、引き続き、白岡先生の教えを受けたかったので、多くの他の受講生の意見にさらされるという、私にとっては荷の重い講座だったが、参加した。

10人程度の受講生が、1人ずつ自分の写真を大きなテーブルの上に並べ、その写真の意図を説明する。他の受講生がその写真について質問したり、意見を言ったりして、講座が進んでいく。先生は、評価めいた事は口にせず、受講生同士のやりとりを聞きながら、その議論の中心になっていることに関係のあることを説明されたり、関連する作家の写真集を取り出して説明されたりする。そこでも、よく出る2つの言葉は、「それは良い写真ですか」と「写真で何をしたいのですか」だ。

先生は、決して評価めいた口にしない。他の受講生からの意見や評価を引き出して、一人ひとりの受講生の写真について議論しながら、写真について一人一人の理解が進むような議論を進めていく。そのために、1人の受講生の写真についての議論が、延々と続くこともあった。1人の作品だけで1時間以上も議論が続くこともあった。

このために、夕方6時から始まる講評講座は、予定時間の9時を過ぎても終わらなかった。多くの場合、11時を過ぎてしまう。遠くまで帰る受講生が、終電に遅れないように講評講座を終えると、先生はビールと柿の種を出してきて、全員に勧める。そして、ビールを飲みながら、その日に出た話題や作家の話について、ひとしきり話をする。そして12時過ぎになると、片付けを始めて、カロタイプを閉めて市ヶ谷の駅にみんなで一緒に向かう。

この講評講座に出すための写真をたくさん撮り、たくさん写真を焼いた。昼間は写真を撮ったりできないので、朝晩に撮り、週末に講評講座の前に焼いた。

そして、講評講座で自分の番が来たときに、その作品を見せて説明するのだが、多くの言葉を持たない私の場合には、うまく説明ができない。説明できないと言うより、何か意図やコンセプトを持って作品を作っているわけではなかったので説明することがないと言ったほうが良いかもしれない。

それでも先生からは、いくつかの写真の可能性を見ていただいた。こういう方向の写真を、もっと撮りましょうことをおっしゃっていただいくことが多かった。そして、その意味を自分で考えて、写真を撮ってプリントすると言うことを繰り返していた。

今考えてみると夢のような体験なのだ。非常に濃い写真の時間を過ごしていたのだろう。この時期にプリントした写真は膨大で、ボツとしたものは捨ててしまったが、その際に残して講評講座に出したものを、今回発見したと言うわけだ。

そんな日々が2年ほど続いて、2012年の年末から、ロンドンへの長期出張が決まった。それで、講評講座を辞めることになった。最終的に赴任する可能性もあった長期出張のために、白岡先生や他の受講生にお別れを言って、カロタイプを辞した。

そのロンドンでの仕事も、赴任することもなく、2013年秋には終了して、東京で働いていた。2015年に白岡先生がカロタイプを譲って引退すると聞いたので、その年末にご挨拶に伺った。

先生は、いつもと同じように、飄々とした感じながらも、暖かく私を迎えてくれて、前と同じ様にビールを勧めてくれた。先生自身は、ビールを口にはされなかった。そして、それまでのカロタイプや、ご自身のことをお話しされて、長い間話した。少し疲れているような感じはあったが、新しく山梨で始める生活について説明していただいた。

そして、先生が亡くなったと聞いたのはそれから3ヶ月後の2016年の3月のことだった。

先生は写真集を残されていないので、いただいた写真展のときの薄い図録が唯一の先生の写真を見る手がかりだ。先生の作品を購入する機会はいくでもあったが、いつでもお願いすることができると思い、お願いしなかったことが悔やまれる。

いつか先生の写真を集めた作品集を見てみたいと願っているが、今のところそういう話は無い。2020年の3月に先生を偲ぶ会が予定されており、そこで先生の写真を見ることができると期待していたが、新型コロナウィルス感染症のためにその会話は延期になっている。今はこの会が実現することを願うのみだ。

自分が人生で出会った人のことを、思い出す事は、時間がたつとだんだん減っていくものだ。しかし、白岡先生のことは時々思い出す。そして自分に問いかける、「その写真は良い写真ですか」、「写真で何がやりたいのですか」。何度も何度も自分に聞くと、その言葉は写真についているだけ聞いているのではないと言うことが、だんだん分かってきた。

生誕100年 石元泰博 写真展

石元泰博の生誕 100年を記念する写真展のために初台から恵比寿まではしごした。今回の写真展は、2021年に高知で行われるものも含めて三会場で行われる。

東京都写真美術館と東京オペラシティーアートギャラリーは相互割引を行っているので、半券を持っていくと一方が割引になった。同じ内容でなくても都内で美術館や博物館が協力して行えば活性化してよいと思う。マーケティングで言うところのクロスセルだ。

桂離宮とか、雪が降ったシカゴや渋谷の人物、落ち葉、新聞が飛ぶシカゴの公園など、なじみのある写真をまとめて鑑賞できた事は良かった。でも大規模な回顧展と言うことで、両方合わせて今まで見たことのないシリーズの作品を鑑賞できたことが良かった。

石元泰博と言えばモノクロ・プロントと言うイメージがあるのだが、カラーの作品もあって、中でもびっくりしたのは、「食物誌 包まれた食物」シリーズ。ポラロイドで撮られたと言う色調とラップに包まれた魚や野菜の生々しさが、素晴らしい文明批評になっている。イギリス人の友人が、日本はプラスティックが多すぎると言っていたが、このアップされた食物の写真の壁を見ると、日本の文化の一面を生々しく感じさせてくれる。同じカラーでも両界曼荼羅については石元さんでなくても良いと思うので、特に感想はない。

デザインを学んで写真家になったからデザイン性が、というような話もよく聞くが、そればかりでなく、東京やシカゴのスナップもすごく良いし好きだ。とくに「渋谷、渋谷」はノーファインダーで撮られたそうだからデザインはない。ともかく、どんな写真家であってもデザイン的な考えが無い人がいないのだから、経歴で決めつけるのはやめてもらいたいものだ。

カラーの他のシリーズでは、多重露光で撮られた抽象的な作品は、見ていて飽きないほど魅力があった。

しかし、最もインパクトがあるのは、やはり桂離宮で両方の展示でたくさんの作品を一度に見られて非常に感激した。どの作品も計算されて捉えているのだろうが、非常に即物的にデザイン的に撮られている作品と光の映り込みを生かした、やや情緒的な作品もあり、そのバラエティに改めて驚かされた。

数年前に、はがきで申し込んで桂離宮に行ったのは、この石元さんの作品の本物を見るためだけで、それ以上の理由はなかった。当然のことながら石元さんのように内部を見ることもできないし、建物に近づくこともできないのだが、飛び石等の写真をたくさん撮って帰ってきた。光を感じる作品は初めて見たので違和感はあったが、見慣れればこちらも好きになれそうだ。

この生誕100年の展示は、来年の2月~3月には高知県立美術館でも開かれる。石元泰博フォトセンターに石元さんは多くの作品や関連するものを寄贈されているので、かなり大規模な展示がされるのだろうから、行ってみたいと考えているが、その時期に行けるかどうかはまだよくわからない。

鬼城弘雄さんが亡くなった。

ニュースでは死因について何も報道されていないのでよくわからない。でも、「ペルソナ最終章」を購入したのは去年だし、最近でも限定版の写真集の記事を見ていたので驚いた。

はるかに歳上のアラーキーや森山大道さんが現役で活躍しているし、ほぼ同年代の杉本博司さんも次々と新作を発表しているので、残念だ。「ペルソナ最終章」は出版されたが、きっと今までも浅草で撮影されていたのだと思う。

鬼城弘雄さんと言えば、浅草寺の朱色の壁の前で撮ったポートレートが有名だ。その独特のグレーの階調が美しい。何度かプリントも見たが、私の技術ではあのような豊かな階調を出すのは難しい。

そして、何より50年近くも同じように浅草に出かけて、自分の撮りたいと思うような対象者に声をかけ、写真を撮り続けてきた。その自分の写真に対する想いと言うか信念が圧倒的だ。

50年近くも撮っていると、何十年か前に撮った人をまた撮ると言うことが、何回も起こっている。写真集には、その両方が収められているが、まさにそこに時間が写しとられている。

私も浅草の、「鬼城さんの壁」と呼ばれるあの壁の前で写真を撮ったことがあるが、写真を撮るには、私にはあまり良い環境の光ではない。だが、そこで撮っているからこそ、あの美しいモノクロのプリントができると言うことも何となく理解はできる。

鬼城さんと言えば、ポートレートが有名だが、「東京夢譚」のような人の写ってない東京の風景やインドとトルコの写真集もあり、それぞれ魅力のある写真がたくさんある。また文章もたくさん残されていて、その本を読むと自分の足でたくさん歩いて被写体を探す地道な努力を常に欠かさないのだということも知っている。

鬼城さんの6×6のスクエアのフォーマットの写真を摂っているハッセルブラッドは、20代の時に大学の恩師に助けてもらって購入したものを今でも使っていると言うことだ。つまり誰かのように、常に新しいカメラのことを考えて、色々なカメラやフォーマットを使うと言う、わたしのような人と違うと言うことだ。

そのスクエアのフォーマットは機、鬼城さんが好きと言うダイアン・アバースの写真から影響受けたと言うことなのだろう。確かにダイアン・アバースもスクエアのフォーマットで、たくさんのポートレートを残している。しかもそれも、一般の人ではなく、ちょっと変わった特徴のある人を撮っているので、鬼城さんの写真と通じるところもある。

鬼城さんとは直接話した事は無いのだが、写真展やギャラリーですれ違ったこともあり、いつかお話を聞いてももらい聞かせてもらいたいと言う思いもあったが、その機会は永遠に失われた。

ギャラリー・バウハウス

「ロバート・フランク大回顧展 Part 1 オン・ザ・ロード」Gallery Bauhaus

今年はコロナ禍の影響で写真展にもなかなか出かけなかったのだが、御茶ノ水のGallery Bauhausでやっているロバートフランクの大回顧展に行ってきた。

Gallery Bauhausは写真家の小高達郎さんがやっている。小高さんのご自身の写真展も含めて、展示が良いので好きな写真ギャラリーで定期的に出かける。建物もコンクリート打ちっぱなしで、入り口を少し登って、入って1階の展示室と、そこから狭い階段を通って地下に降りる二層になっている、コンパクトだが写真を見る雰囲気としては良いギャラリーだ。特に地下に降りる細い階段から天井の高い地下の展示室に降りると、写真にぐるりと囲まれた感じがして心地よい。階段を降りる瞬間が写真の世界に入っていく、そんな感じがする。

ロバートフランクの大回顧展はコロナの影響で開催が遅れて7月から始まり、Part 1は今週末で終了。

「Part 1 オン・ザ・ロード」と題され、「The Americans」の頃の旅先の写真が多い。写真集の「The Americans」に含まれている写真が多いのかと思って出かけたが、数としては少ない。「The Americans」の後ロバート・フランクが映画を撮り始めた頃の16ミリフィルムのネガをそのまま密着焼きしたプリントが何枚もあり、細かく見ていると面白いし、当然のことながら意図を持って集められているので全体としては面白いプリントになっている。

他の写真としてはネガをいじって、消したような写真も何枚もあり、今となってプリントとして見ると不思議な感じがする。

全体的にプリントとしてはラフな感じで焼き付けられていて、今まで自分が角の直角やハイライトの調子にこだわっていたのが瑣末なことだとよくわかる。

全体的な印象としては「The Americans」の写真が少ないのであの写真集の持っている何か不安な雰囲気が感じられない。むしろ若いロバート・フランクが旅に出てたくさんの写真を撮って歩いている雰囲気がよくわかる。

そのようにして撮りためた写真の中から、緻密な構成力と編集力であの「The Americans」が作られたのかと思うと彼の写真家としてのセレクトの力に驚かされる。しばらく「The Americans」は本棚に眠ったままなので久しぶりに取り出して眺めてみた。やはり1枚1枚の写真の力もそうだし写真の並びが緻密に考え抜かれていることが改めて知らされる。「The Americans」の魅力は全体的な緊迫感だと思う。

ロバート・フランクはロバート・フランクの後で、興味は映画へと移ってしまったが、やり遂げた感じがあったのだろうか。

昨年の9月に亡くなって、その後に清里の写真美術館で開かれた回顧展に行こうとしたが仕事で果たせなかった。気になっていたので、コロナウイルスに負けないで良かった。

「Part 2 記憶の彼方へ」は2020年9月24日(木)~11月21日(土)まで。楽しみだ。