ノッティング・ヒル、ロンドン

2013年から2016年にかけてロンドンに長い間滞在した。長い時は2ヶ月近く滞在し、短い時でも1週間。平日は仕事があるから、夜に食事に出かける程度だが、週末はロンドンのあちらこちらを歩いた。

どちらかと言えばロンドンの東側のショアディック(Shoreditch)の辺りの写真を撮って歩いていた。でも、西のノッティング・ヒル(Notting Hill)に行くこともあった。ショアディックがニューヨークで言えば、イーストビレッジとすれば、西のノッティング・ヒルは、アッパーウエストという感じだろうか。

これは映画の「ノッティングヒルの恋人」の舞台だから行ったと言うこともあるが、のんびりと食事をしたり、ビールを飲んだりするような場所がいくつもあって楽しめた。東側の猥雑さは緊張感を強いるが、西のノッティングヒルはリラックスできたのだ。

地下鉄のNotting Hill Gate駅で降りて少し歩くと、メインのPortobello Rdに出る。日本語では、ポートベロと書いているのを見かけるが、アメリカで食べていたポータベロ・マッシュルームの発音と同じように、個人的にはポータベロと呼んでいた。どちらが、より現地語の英語に近いのか知らない。ポータベロ・マッシュルームは日本ではあまり食べないが、ニューヨークにいた時は好物だった。それとは直接関係ないが、Portobello Rdに親近感を抱いていた。

上の写真は、映画の中でヒュー・グラントが演じる主人公が住んでいた場所。2階に少しテラスがあるのですぐにわかる。この家の赤いドアは映画の中でも青く塗られていたが、そのドア自体は映画の後でオークションで販売されてしまったそうだ。

主人公が経営していた旅の本だけ集めた書店はフィクションだが、撮影に使えられた店舗は現存した。写真を撮った2013年には靴屋だ。それから、多分映画から発想された、ヒュー・グラントが経営する旅の絵本を集めた書店とおなじような書店は、この場所から少し離れた脇の路地にあった。映画では全く使われていないし、多分関係ないと思うが、旅行関係の本をたくさん集めて販売していた。

このポータベロー通りは、週末にはアンティークと言う名前のガラクタがたくさん売られる屋台が出る。Notting Hill Gate駅から遠いほうに行くと、週末には、映画に出てくるような野菜や果物を販売するマーケットの通りとなっている。この通りに行くのは、夜に食事に行く以外は週末が多かったので生鮮食料品のマーケットの写真をたくさん撮っている。

Notting Hill Gate駅からポータベロー通りを歩くと、通りのはずれは、Ladbroke Grove Stationがあって、そこの広場でも骨董市が開かれていた。

がらくたに混じって、古いカメラがたくさん売られていて、覗いたりしていたが買うことがなかった。古いカメラは古すぎて撮影には使えなさそうだし、少し新しいものはプラスチックでできたカメラで、興味をひかなかったからだ。いちどだけ買い物をしたのは、古いラグビーの写真で、1枚数ポンドで1000円もしないから買った。

2013年から2016年と書いたが、1番回数が多かったのは2013年で、この時にたくさんフィルムで写真を撮っている。その後は、忙しかったのと滞在期間が短かったのであまり写真は撮っていない。

撮ったフィルムは現像は終わっているが、忙しくてきちんとプリントができていない。ロンドン以外にも海外で写真を撮りにいったフィルムがたくさんあり、プリントをしなければいけないが、始めるならまずロンドンの写真からだ。

プリントで思い出したが、ある出張の際に、足りなくなったフィルムを買いに行って、フォコマート2を購入して、ホテルに運んでもらった。運ばれてきたケースを見たら、あまりにもサイズが大きくびっくりした。それが3ケースもあり、自分1人の分としては日本に持って帰って来れなかったので、たまたま同行していた同僚にお願いをして彼の分として運んでもらった。

この頃の出張は、すべてビジネスクラスだったので、あの大きなケースを運べた。2014年以降の出張は、別の組織に移ってからのものだったのでエコノミークラスだとあの荷物を運んでもらえなかったと思う。しかも当時は、ビジネスクラスには成田からのハイヤーがついていたから、自宅までその巨大な箱を3個も運べたのだ。

そのフォコマート2は、自宅のガレージ暗室で使い始めた、しかし、その後忙しくあまりプリントができていない。そのプリントができてない理由の1つは忙しさもあるが、自宅で現像液を使ったりすることが環境問題への影響を考えると控えなければいけないと思い出したからだ。2013年の9月に東京オリンピックが決まり、東京湾で各種の競技が行われると言うことを考えると、自宅から廃液を海には流したくないと言うような気持ちになった。ずっと行っていた自宅フィルム現像を止めたのも同じような理由だった。

ノッティング・ヒルの写真を見ていて、ロンドンに最後に行ったのはいつかと考えると、多分2016年の11月ごろだと思う。新型コロナウィルスが収束したら、また旅行に行きたいが、行き先の候補はロンドンも上位に入る。何度か行ったPortobello Rdのパブでエールを飲んでみたいものだ。

眺めること、見えること、見ること

見ていても何も見ていないというのが普通だ、私の場合には。目は開いていても普通は何も見ないで歩いていることが多い。それが証拠に、知り合いから声をかけられたり、一緒に歩いている人に誰それとすれ違ったと言われて、何も覚えていないことが良くある。つまり、ただ眺めているが、何かを見ている訳ではないようだ。簡単に言うと、ボーっとしているということだろう。単に眺めているだけでは、何かを見ている訳ではない。

意識して見ることで初めて見ることができるようだ。でも本当に何かが見えるのは、もっと意識して見ないと何も見えてはいない。見るということは目の機能ではなく、脳の機能であることは知られている。たとえば網膜には視神経が集中して脳につながるための盲点があり、そこは何も見えてはいないが、脳全体で視覚を統合・補正して盲点が無いように見させているそうだ。あるいは、網膜の残像を脳で再構成して動作しているように見えるということもそうだ。きっともっとたくさんの事例があるのだろうが良くは知らない。

写真でいつもピントが気になるが、写真でピントが固定してしまうとピントの位置が大きな意味を持つ。人間の目ではピントはどこにでもすぐに合うようになっているし、脳で再構成しているから違和感は無い。写真になるとパンフォーカスで全体にピントが合っているのも、被写界深度が浅くて1点だけにピントが合っているのも、どちらも不自然というか不思議に見える。もちろん写真の表現なので、人間の見えるように撮れないし撮れていなくても問題はない。

日本ではボケが尊ばれて大口径のレンズを開放で使って浅い被写界深度の写真が好まれる。でも開放でレンズを使うと、どうしてもピントは甘く柔らかになり叙情的な雰囲気になるが、これも良いということなのだろう。最近まで柔らかい写りのボケの多い写真を量産していたが、このところはピントを深めにしようと努力している。でも夕方や夜はどうしても開放に近くなってしまい、柔らかくなってしまう。そんな場合は撮るなということだが、酒を飲んでの帰りはどうしても写真が撮りたくなる。それで、どうでも良いぼんやりとした写真が多くなると言い訳をしておこう。

なので写真で何かを見ようとしているわけではなく、レンズを通してボーっと眺めているということなのだ。眺めて、それが美しいと思えれば何が写っていても関係ないと思っている。一時、何も明確な形のあるものを避けてできるだけ抽象画に見えるようなものばかり撮っていたが、周りの人から意味が分からないと言われたが、そんなぼんやりとして情景が私の世界の認識なのだろう。

ニコンがF6を販売終了

ニコンがF6を旧製品扱いとして販売を終了した。これによってニコンには、フィルムのカメラがなくなった。長くニコンのフイルムカメラを使ってきたので、すごく寂しい気持ちだ。フィルムはやはり消えていくのか。

前にマウントを整理するために、たくさんのニコンのカメラを処分してしまったが、F3とF100だけは、まだ使える状態で持っている。36㎜のメインはライカのレンジファインダーになってしまったが、一眼レフで撮る気分だけは残していきたいと思っている。やはり若い時の憧れのF3だけは手放したくない。白岡純さんの愛機もF3だった。どちらにせよ、フィルムがなくなっても手元に置くつもりだ。

フィルムカメラの時代の終焉

キヤノンは、2018年春にフィルムカメラの販売を終了しているので、経営環境の厳しい中、それよりも2年半も長くニコンは販売を続けてくれたわけでニコンに感謝したい。

今でもフィルムカメラを販売しているのは、ライカで、ライカMPはまだ新品が購入できる。もしかすると、既に生産は終了していて在庫がある限り販売を続けると言うことなのかもしれない

新品で買えるフィルムカメラが無いので、フィルムは種類も減って、その値段も上がっており、フィルムで写真を撮るには厳しい状況だ。長くフィルムを現像に出していた堀内もモノクロのフィルム現像を止めてので、今は別の会社に出すしかない。

フィルムの価格

フィルムの値段も高くなっている。36ミリモノクロ・フィルムは36枚撮りで300円検討だったものが今は1000円以上。正確には、2020年11月時点でヨドバシでは、Kodak トライ-X400 135 36枚撮りが1,370円で売られている。現像も1本200円か300円だったと思うが、それが今は500円位する。フィルムはコストのかかる趣味になってしまった。フィルムの自宅での現像は環境保護の問題もあり、しばらく前に止めてしまっている。だから、海外で大量に撮ってくると、現像料もかなりかかってしまう。とは言えデジタルで撮る写真は、なんとなく写真とも思えなく、写真を撮るぞという気分ではフィルムを使いたい。問題は、それがいつまで続くかだ。

Take a fantastic voyage with Photoshop

YouTubeで面白い動画を見た。「Take a fantastic voyage with Photoshop」というタイトルだ。

動画の加工はよくわからないが、コメント欄を読むとすべてがPhotoshopだけで作られているようではないらしい。でも自分でも普段使っているソフトウエアですごいことができると感動的だ。

でも毎日Photoshopを使っているのではない。時々だ。ブログ用の写真の解像度やサイズの加工では使っているとは言えない。

今でも写真はモノクロでフィルムと思っているが、このところ、デジタルで撮ることの方が多い。スマホで撮っているものを、自分で「写真」と定義するのは多少躊躇する。

しかし、このブログで載せている写真はほとんどスマホで撮ったものだ。

写真を撮りに旅行に行こうと思った時は、まず35mmかブローニーかで悩む。モノクロフィルムは確定だからサイズだけだ。都会で機動性と考えると35mm。大抵はライカM6を持っていく。手持ちのM3, M4, M5, M6から選ぶとするとたくさん撮る際にはM6が使いやすい。

ちょっと落ち着いてと思うとブローニーで、ローライかハッセルかで悩むのだが、最近は街なかでの使用を考えてシャッター音でローライにすることが多い。

ただ、フィルムはフィルム自体の値段が高くなったこと、自宅での現像は処理液が環境問題で昔のように捨てられないので、ラボにだすとこれも値上がりしている。

昔は自家現像か堀内カラーに出すかどちらかだったのが、堀内がモノクロフィルムの現像をやめてしまったので、他のラボになる。では、自分でと思うとやはり廃液の処理ができない。毎月大量なら廃液処理会社に依頼だが年に数回ではそれも面倒だ。で、やっぱりプロラボだ。最近はアートフィルムという会社が多い。

ということで、フィルムは年に数回で、普段はデジタルということになる。デジタルは前は持っていても使っていなかったが、この数年は使用頻度があがった。

デジタルになるとRAWで撮って現像してということだが、Photoshopでも大きな加工はしないが、マスクで覆い焼きとか焼き込み程度はしている。これも習ったりしたのだがなかなか習熟は進まない。というより、あまり使わないので覚えたことをすぐに忘れてしまうのだ。

Photoshopは動画でも使えることは知っているが、動画を撮らないので、当然使ったことはない。むしろ、Photoshopでの過度の加工は主義に反するからしないと決めているのだ。

このAdobeのビデオは面白かった。音楽が良いのかもしれない。見ていて楽しいのだ。他のソフトも使っていても、Photoshopで映画のような加工ができるから驚きだ。

そういえば、最近の映画はほとんどが加工された映像だ。まるでアニメを見ているような気分になる。コマーシャルも同様。むかしはCGが高くて実写ということが多かったが、今は逆だ。寂しい気もするが、写真にしても動画にしても、昔のように撮られたままというものはほとんど存在しない。

イマジネーションで新しいものを生み出すという方向と、撮ってそのままという方向の両方のクリエイティビティを見てみたいといつも思っている。

杉本博司さんの「私の履歴書」

2020年7月の日経の「私の履歴書」は杉本博司さんだった。杉本さんは私の好きな写真家の数人の中の一人だ。しかし、写真家というのは杉本さんについては適切ではない。美術家というべきだろう。

最初に杉本さんの作品を知った頃は、写真家としてだった。「劇場」、「海景」や「建築」には痺れた。そのような写真は見たこともなかった。元々、ミニマリスト的な写真が好みだったからだろうが、完全にツボだった。最初は、その写真の絵柄に強く惹かれたのだが、そのコンセプトを知ってさらにハマった。

例えば「劇場」は映画一本分の時間だし、「海景」は古代からの時間、古代人が見た風景だ。「建築」については、建築家の最初のイメージを無限を超えてピントを外した写真で表現している。

最初は画像や絵柄に魅力を感じていたが、段々とそのコンセプトの作り方に敬服した。敬服したなどという表現は上から目線かもしれないが、コンセプトを独創するアーティストへの尊敬に変わったわけだ。

今までに彼の本は全て読んでいるから、ずいぶん昔から、もはや「写真家」ではないことは知っているが、改めて「私の履歴書」を一ヶ月読んで、素晴らしいアーティストと再認識した。連載にはあまりディテールなので登場しないが、各シリーズの撮影方法や機材などのこだわりもすごいものがある最新作の「OPTICKS」では、古いポラロイドを使って、プリズムから分光した光を撮っている。技術的にも高度なものだし、制作にかかる時間も費用も凄そうだ。ニュートンの「光学」から発想されているというが、常に色々なアイディアを考えているのだろう。凡人と比べてはいけないが、全てのシリーズのアイディアに毎回驚かされる。

とは言え、好みがあって、「ジオラマ」とか「蝋人形」とかは好きではない。虚を虚の写真で撮ると実になるというのは素晴らしいが、画像としては面白くない。やはり、コンセプトで鑑賞するもので、その意味で現代美術の範疇に入るものなのだろう。ちょっと私にはレベルが高すぎるということか。

コロナの今ではあるが、京都市京セラ美術館「杉本博司 – 瑠璃の浄土」展に10月までに行って、遅くとも来年には直島に護王神社を見に行きたいものだ。そうだ、小田原の江之浦測候所にもまだ行っていない。