「ゼラチン・シルバー・セッション 100年後に残したい写真」展

しばらく忙しくて更新できていなかったが、仕事も一段落ついたのでブログも再開しようと思う。要は時間ではなく気分の問題だ。

連休中は仕事もあったがいつもの週末よりも時間はたっぷりとあった。細々としたこともできたし本も読んだ。やはり時間があると言うことは良いことだ。

仕事で出かけた日の帰りに六本木のAXISビルに行った。昔からあのビルは好きなところだ。昔のリトグラフの店とかはもう無いから滅多に行かないが、ゼラチン・シルバー・セッションでは必ず行くから最近は年に一度ということだ。

ゼラチン・シルバー・セッションも今年が第10回ということで2006年からということだから、開催されなかった年があるということか。私が行き始めたのが海外から戻った2009年ころと記憶しているが10年くらい通っていることになる。この企画を続けている方々には頭が下がる。銀塩写真の魅力を伝えるとともに見応えのある作品が展示される様はまさに宝の山だ。銀塩写真の為にいつまでも続けて欲しいものだ。

10年前はまだフィルムそうは高くはなかった。36枚のフィルム1ロールが300円といったところだったろうか。今は1,000円近くする。その間にコダックは倒産したし富士フィルムも多くのフィルムや印画紙を生産中止にした。使う私達がもっと使わないと本当にフィルムカメラは文鎮になる。

写真はAXISビルの中で。

自転車検討中(続き)

輪行できる自転車を検討中だが、ここでいう輪行とは北海道とか九州に行こうという話ではない。家から数時間の距離のことだ。神奈川とか埼玉、千葉を考えている。あるいは、家から自転車で出かけて疲れたら電車で帰ってくるというイメージだ。

検討しているのは、前に書いたブロンプトン、ダホン、バイク・フライデーそれから電動のデイトナだ。ブロンプトンはデザインや折畳みの容易さ、小ささが魅力だが、いかにも価格が高い。とは言え、バイク・フライデーも高い。でも機能性は認めるが、バイク・フライデーのデザインのデザインは好きではない。ダホンは価格が魅力だが、デザインやブランドのストーリーが魅力的に見えない。そうなると、電動のデイトナはデザインも好みだし、疲れたらアシストを使える安心感もある。価格も、ブロンプトンやバイク・フライデーと同じ価格帯。

書いていると、どうも普通の自転車のイギリスのブロンプトンか、電動で日本製のデイトナかということになる。普段乗るのが普通のマウンテンバイクなので、追加は電動が良いかという考えも浮かぶ。なかなか結論を出せずにいる。

久し振りの自家現像

先日の旅行のフィルム現像だが、堀内カラーがモノクロ現像を外注することになったことやそもそも値段も1本900円というとんでもない値段になってしまったので自分で現像することにした。昨年のバルセロナの後の現像料に驚いたのだ。パリで撮ったのは120が20本、35mmが3本だから普通に現像に出すと20,000円を超えるということになる。

現像には良い季節だし時間もあったので土日2日で片付いた。タンクはマスコで120は2本しか現像できないが120だけで5回現像したということだ。それに35mmは3本一度にできるから、こちらは1回のみ。ついでに冷蔵庫に溜まっていた長巻に撮影済みフィルムを9本。これで合計9回。長巻は店では現像を受け付けてくれないから自家現像しかない。しばらくフィルム現像をしていなくて冷蔵庫に溜まっていたのだ。2年もたつといくら冷蔵庫でも潜像が劣化しているかもしれない。

週末前に何も出かける予定も仕事もないことを確認して週末の決行を決めたのだが、最近は急に思い立ってもヨドバシが現像液など翌日に配達してくれるから、その点は便利な時代だ。水温は汲み置きしておくと21度程度になってちょうどいい感じだ。前はいろいろな現像液を試したが最近はフィルムに合わせてT-Maxデベロッパー一本鎗だ。ヨドバシで2,600円。劣化を考慮して継ぎ足したり現像時間を延ばしたりして29本をすべてを1本で現像した。ベタはこれからだが、ネガの調子を見ると悪くない。むしろ堀内カラーより薄目でコントラスが低そうにも見える。現像液の劣化が寄与しているとしたら大量現像の怪我の功名だ。

定着液は前から使っている中外のフィクサーのやや期限切れを使ったが、定着はできているだろうが、これはすぐには結果は分からない。久しぶりの現像で2日間も腕を振っていあたので筋肉痛。これも2万円ほども節約できたと思えば安いかも。ともかく現像料が高くなったのでこれからは自家現像に切り替えたい。フィルムと現像で一本当たり2千円ではフィルム趣味は続かない。それにまだ冷凍庫に値上げ前の長巻がたくさんある。

東京都写真美術館「山崎博 計画と偶然」

天気が良い週末で時間もあったので恵比寿の東京都写真美術館まで「山崎博 計画と偶然」を見に出かける。昨年、再オープンした際に入った年間パスポートが3月31日で切れていて更新。3,240円也。年間パスポートで所蔵展は無料になるのだが、「山崎博 計画と偶然」は予想に反して所蔵展だった。何故か得をした気になるが得をするために年間パスポートを買っている訳ではないのでどちらでも良いか。

「山崎博 計画と偶然」を見に行ったのは、「水平線採集」というシリーズ」を見に行ったのだがモノクロからカラーまでたくさんあってなかなかの圧巻。前から気になっていたのは杉本博司との違い。山崎の作品はカラーがあることもそうだし、たくさんのディテイルがありこの作家のお得意の長時間露光の太陽の軌跡が入ったものもある。それを見るとやはり杉本のほうが余計なものはそぎ落とした感覚で海と空とその境の水平線以外に余計なものは大型カメラにも関わらず写っていないので似た作品が違いは大きいと感じた。

1980年に杉本博司はSeascapeの撮影を始めたそうなので、1970年代もある山崎博の方がやや早いようだが、いずれにしてもコンセプトも手法も違うので同じように見えて違い作品群と感じた。

連休の始まりは天気も良く土曜日に少し小雨が短い時間降ったが非常に爽やか。この天気が数か月くらい続くのがありがたいが、すぐに湿度が高い日本の夏がやってくる。

英語になった日本語

レンズで使う「ボケ」という言葉は、英語でも「bokeh」という言葉として同じ意味でレンズの説明の時に使われる。なぜ日本語のボケが英語になるかというと多分、そういう概念が海外にないからだろう。写真は写真であってボケを味わうために撮るのは本末転倒というのが正統的な写真の撮り方と思うが、日本では日本人のまじめな性格が影響してレンズの性能を試したり写り方を比べたりということが遊びの中心になって表現とは別の写真の写りを追求することが写真の撮り方になってきたということかもしれない。

英語になった言葉としてはたくさんあって最近の流行ではkaroshiとかkawaii。古いと思われるのは、hancho。「班長」から来たと思われるが、そもそも日本語としてもあまり使われなくなってきているから英語になったのはずいぶん前と想像される。

写真はSummilux 50mm 第二世代

ノクチルクス Leica NOCTILUX-M 50mmf1.0

長年に亘って憧れていたノクチルクスをデジタルのライカを手に入れたついでに買ってしまった。家を建てるからついでに車も買い替えたみたいな勢いの大衝動買いだ。清水の舞台を重ねて飛び降りたと言っても良い。でも結論から言うとデジタルのライカは少しレンズの試し撮りをしたこととバルセロナに持って行った以外はまったく使っていない。

買ったのは比較的安価で買える第二世代のf1.0のもの。安価と言っても今まで買ったレンズでは一番高い。それを、昨年の秋の東京の紅葉も終わりつつ頃に、持って出かけた。試し撮りのつもりだったが、NDフィルター無で昼間の撮影は開放付近ではかなり難しい。

f1.0

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Leica M-Pはシャッタースピードが1/4000秒なのでオーバー気味に写っている。写真としてはちょうどよいかもしれないが、他の絞りと比べるには不適。手前の赤い紅葉の一番手前のみにピントが来て、背景の黄色い葉は完全に溶けている。かなりグルグルボケではあるが個人的には気持ちよい。

f1.2

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f1.2になってもまだオーバー。気持ち被写界深度が深くなっている気もするが大きな差はなく、手前の紅葉の前方にだけピント。背景もf1.0と同様にグルグルと溶けてしまっている。

f2.0

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絞りがf2.0ではシャッタースピードが追い付いてきて露出は適正。手前の紅葉のピントは深く、かなりの部分にピントが来ている。背景はまだ溶けたままだが、形は見えてきた。

f2.8

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f2.8になると手前の赤い紅葉はほぼピントが来て、背景の赤い紅葉は葉であることが分かる。黄色い部分はまだ溶けている。

f5.6

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f5.6では、手前の赤い紅葉はピントがしっかりと全体に合い、背景の赤い紅葉は葉であることははっきりと分かる。

実は、買ったのは良いもののこのレンズをフィルムでは使ったわけではなく、全くの物欲買いであまり意味がない。一度、フィルムでも使ってみなければいけないと考えている。

旅行支度のカメラ

今週は久しぶりに休みが取れたのでヨーロッパまで久しぶりに出かける。昨年の11月のロンドン以来だ。旅行で一番悩むのはカメラをどうするかということだ。

まず、デジタルかフィルムか両方か?デジタルは、一眼レフかライカか?あるいはフィルムがメインにしてデジタルはiPhoneあるいはコンパクトにするか?フィルムなら35mmか中判か?35mmも一眼レフかライカか?中判はハッセル、ローライ、マミヤにするか?

急な旅行を決めて2ヶ月弱悩んできたが、メインをローライで念のためにライカの小型CLを持ってデジタルは記録用にコンパクトのFujix100にしようと決めた。iPhoneは持っていくのだからデジタル強化とも言える。フィルムが値上げ前に買った120がたくさん残っていることもある。ハッセルでないのは街中で気楽にスナップと考えている体が、35mmも持って行くという中途半端な体制は自分でもどうかと思うが、小型ならいいかと自分を納得させている。レンズも悩むとことだが、やはり使い慣れたSummiluxの50mmか35mm。これは最後まで悩むことだろう。バルセロナは中判をやめて35mmのライカのデジタルとフィルムでレンズを共有した訳だが今回は抑えなのでレンズは一本の予定。さて、どんな旅行になるか。3日だけの滞在だからそう写真を撮ることもないかもしれない。

写真は昨年行った上田市。県立高校の門が美しかった。

 

コレフォックス バルセロナの火祭り

レンズには基本的にフィルターを付けない主義だったのだが、それを変えることになったきっかけがあった。昨年の秋にバルセロナにコレフォックスという火の祭りを見に行ったのだが、その時に事件は起こった。

火の祭りという知識だけで、それほど過激とは思ってもいなかった。その祭りでは悪魔の衣装を着た人が先が三又のフォークのような槍を持って、その槍に花火がついている。花火の火の弾丸が激しい勢いで周辺に飛び交うという激しいものだった。この花火が目の前で破裂する様を、子供の行列と大人の行列の両方を3時間余りも写真を撮っていた。ずっとファインダーを覗きっぱなしだったので、終わった頃にはすっかりファインダー酔い。2種類あるには日本のお祭りの子供神輿と大人神輿と同じ。

子供や大人が花火を槍につけて目の前で発射するからあちらからもこちらからも火の玉が飛んでくる。化学繊維の服を着て行ってはいけないと聞いていたが、本当にそうだった。大きな火の玉が足元に落ちて爆発したので、靴とズボンの間のむき出しの足首にやけどを負った。このパレードに参加している子供や大人は厚いレインウエアのようなコートに同じ材質のレインハットをかぶりゴーグルをした完全武装だ、火の弾丸を発射する槍を持っていなければ、まるで消防士のパレードのようだ。時々現れる大きな竜の山車にはさらに大きい花火がついていて大きな火弾を発射する。

長い撮影に夢中になってパレードが終わってレンズを見るとフィルターに3か所も焼け焦げがついている。指でこすっても石鹸で洗っても焼け焦げは取れない。このレンズは、バルセロナに持って行ったSummilux 50mm第二世代で中古で買った時からフィルターがついていたので偶々そのまま使い続けていた。同時に持って行ったSummilux 35mm第一世代は最初からフィルターを付けず使っていたが、この夜の撮影に50mmを選んだことが幸運だった。35mmを使っていたらレンズが焼け焦げるところだった。

東京に戻ってフィルターを買おうとMap Cameraに向かい、店員さんに在庫を尋ねたところ新品と中古があり新品の方が安かった。不思議に思いながら新品を買おうとして、念のためにフードを試したところフィルターの縁の厚みのためにフードはつけられなかった。私のSummilux 50mm第二世代はシリアル番号から見ると1968年の製造のようだが、この頃のフードは最新のフィルターは使えないようだ。仕方なく、少し高い中古のフィルターを買って帰ってきた。

画質の低下など気になることはあるが、多分、誤差の範囲なので今後はなるべくフィルターを使おうと思った事件だった。

「写真で何がやりたいのでしょうね?」

二日酔いを覚ますために近所をカメラを持って歩いたのだが、撮った写真も同じようなものだ。

何がいけないかとというと、簡単に言うと「花鳥風月」。美しいものもあるが、何かあるわけではないし、同じような写真は無数にある。それから、明確な対象が写っていない抒情的な写真。これも たくさん撮っている。昨年の今頃は壁に写った影ばかり撮ってプリントしていた。なのでプリントしていても意気は上がらない。問題はでは何を撮れば良いの か。

写真を見ていただいている写真家の先生に、いつも聞かれる。 「写真で何がやりたいのでしょうね?」でも、何も答えられない。考えて見ると多分、シャッターを押してフィルムに光が記録されること自体が好きなのだ。 撮っているものは花鳥風月は避けようと思いつつも、凡人の美的感覚(つまり社会から与えられたもの)に引きずられる。独自の世界の見方が自分に備わってい ると感じない。

基本的にはシャッターを押すのは光が美しいと感じた瞬間で、特に写っているものにこだわりがあるわけではない。だから結果的に花鳥風月もあるし、抒情的なケースもある。ただ、世界にあふれる光を写して、写真として美しいものが撮れればと願っているのだ

写真は「窓か鏡か」という議論があり、MOMAの写真部長だったシャコフスキーは、「窓と鏡」という論文を書き、そのタイトルで写真展を開いた。つまり写真 は自分を見つめる鏡である場合と、世界をの覗いて何かを見つける窓であるというのだ。私の場合にはどちらもできず、部屋の中で落書きを書いているような気もしてくる。

とりあえず昨年末のネガをプリントしてもう 少し、写真で何がしたいのか考える必要がありそうだ。もしかすると過去に撮ったネガを見直して、あるかもしれない宝を探すという方法もあるかもしれない。 大抵36コマ撮って数枚しか六切りのワークプリントを作っていない。ベタで写真が分かるほどのプロではないので、可能性のあるものを見つけてワークプリン トを作るというlことも必要かもしれない。でも整理が悪くで積んだままなので、どこから手をつけて良いかも分からない。とりあえず今は忙しすぎるのかもしれない。

 

蜂蜜とブラックスワン

大病を患った友人から免疫についての本のコピーをもらった。その本を手本にして病気がぶり返さないように免疫に気をつけて生活しているそうだ。参考 にということでいただいたので読んでみた。健康法にはきっと色々な理論や考えがあるのだろうが、この本では魚、野菜、木の子をたくさん食べて塩分はさける ということのようだ。個人的には理にかなった食習慣だと思うので可能なことは取り入れようと思った。

その中で一つ気になったのは、蜂蜜を免疫を高める食品として勧めていたこと。ずっと前に蜂蜜は砂糖と同じで何の栄養もないと読んだことがあり、ずっと蜂蜜を避けてきた。アイスクリームや砂糖は エンプティ・カロリーという言い方をするが、同じようにカロリーは高いが何の栄養素も含まれていない空っぽの食品と理解してきたのだ。

それ が、今回、免疫を高める物質が含まれていると紹介されて信じる気になったのは、きっとナシム・ニコラス・タレブの「ブラックスワン」の影響だ。その本の中で、何かがないことを証明するのは大変難しいという例として、かつては母乳には何も有益な物質は含まれていないと言われ、多くの人は母乳ではなく粉ミルクに換えたり、食物繊 維は何の働きもしないと言われ、重要視されてこなかったことが語られる。その食品のメリットの証明はできても、メリットの不在の証明は難しいのだそうだ。 だから何の効用のないと思われた母乳や食物繊維は重要な効能があることは後から分かってきた。

もちろんタレブは健康食品の話を書いた訳では なくて、歴史上にはかつて経験したことことがないような出来事や想像もできなかった現象が起こりえて、特に株価やあるサービスや本と言った社会的現象に起 こる不確実性について書いた。その例はたとえばキリスト教の爆発的な普及やグーグルの成功などだ。それを彼はブラックスワンと呼んだのだが、不確実性の予 測の際に、今まで無かったからとか、理論的に不在が証明できるからとかの理由でブラックスワン的なことが存在しえないということは間違っているということ を主張したのだ。何かが無いと断言することは、何かがあると断言するよりずっと困難なことだそうだ。

彼の主張のように蜂蜜に有用な物質が含 まれていないという証明は難しいということから、今まで空っぽのカロリーと思っていた蜂蜜を、このところ朝ごはんのパンにつけて食べている。本の重要なポ イントではなく、その不確実性の主張の説明のためのたとえ話に影響されて、あっさり宗旨替えというのも、ポイントを外しまくる自分らしいなと納得。今はスプーンに一杯だが毎朝食べている。だからと言って健康になった感じまはまだまったくない。