「絵画をいかに味わうか」ヴィクトル・I. ストイキツァ 

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写真はバルトがコードのないメッセージと呼んだように直接に対象と結びついているが、絵画は読み解くためにはコードが必要と言われている。そのコードは文化的、宗教的な歴史と密接に結びついていて知識がないと理解することは難しいようだ。

さ らに村上隆が著書で何度も指摘しているが、過去の美術理論や実践を踏まえてさらに新しいものを付け加えていないと評価されないと書いていたが、私はそんな 知識もなくただきれいだとかうまいと思って絵をみているだけだ。ヴァニタスと呼ばれるような髑髏が出てくる静物画などは分かりやすいコード、というかその ままだが普通は説明されないと分からなことが多い。

タイトルに惹かれて手に取ると、カラバッジョの章があったので読み始めた。いくつか発見があったが、それはカラバッジョが現実に即して描かれたものでなければ意味がないと思っていたということだ。だから古代の彫刻やラファエロなどはまったく評価していなかったそうだ。

それが宗教画をたくさん描いているのは当時のイタリアでは宗教画以外には市場がなかったからだろう。なので宗教画を描いて天使を描いているが、それは発注者 の教会の意向だからしかたがないが、今まで大した意味もないと思っていたが、カラバッジョが天使の影を描いていることは重要なポイントのようだ。亡霊には 影がないが、影は現実の記号であり、カラバッジョは現実として天使を提示しているということだ。天使や聖母が幻影ではなく現実に現れた瞬間を描いていると いうのだ。影にそんな意味があるとは思いもよらなかった。

それから、カラバッジョは下絵を描かずモデルを使って描いていたということを知っていたが、そのモデルはならず者や娼婦でそれを天使のモデルにしたというのである。確かに絵に登場する人物の顔が同じものがいくつもある。これも非現実を 現実として描いたのと同じように、聖と俗や現実と想像が交わる時に世界のありかたが見えると思ったのだろうか。フェルメールの絵でも上流社会の風景に「とりもち女」の俗な世界を入れることが当時の流行だったと読んだことがあるが、その時代の少し前のカラバッジョの時代にも行われていたのか、カラバッジョの 独創だったか今は分からない。

それにしても印象派の時代に娼婦を描いたとスキャンダルになったというがそれよりも200年以上も前に娼婦をモデルに天使や聖母を描いたとは。