奈良原一高「宇宙への郷愁」写大ギャラリー

中野の写大ギャラリーまで、昨年亡くなった奈良原一高さんの写真展「宇宙への郷愁」に出かける。いつもなら自転車だが、しばらく乗っていなくて、空気が全く入っていなかったので歩いて出かけた。片道約40分。天気も良かったのでカメラを持って撮影がてら歩いた。

好きな写真家の1人である奈良原一高さんの写真はいつ見ても素晴らしい。ただその一言。いつの時代のプリントかわからないが、プリントも美しい。そのキャリアを通じてのシリーズが網羅されている。今まで何度も見てきた有名な作品ばかりなので、イメージとしては見慣れている。しかし、実際のプリントを見るのとはまた違う。先日のユージン・スミスといい奈良原一高といい、モノクロのプリントの粒の美しさが際立っている。やはりモノクロプリントの美しさは、黒の深みと階調の豊かさと粒状感だ。

もちろん、その美しさはプリントの美しさだけではなく、どのシリーズでも被写体をとらえるタイミングや構成から作られたイメージの強さは、見るものを捉えて離さない。いったい、1枚1枚の写真を撮るのにどれくらいの時間をかけたのだろう。「消滅した時間」と題されたシリーズのタイトルのように、驚くような瞬間が固定されている。確かに、時間は消滅して、それが私たちに提示される。まさに、写真にしかできないことが奈良原一高さんによって行われていた。

11月まで続く展示が始まったばかりなので、会場には自分も含めて最大3人しかいなかった。おかげで時間をかけてゆっくりと作品を楽しめた。

さすがに大学のギャラリーだけあって、いつも良い展示を行っている。もう少し出かけものだが、今は休みの時しか行けないのが残念だ。

会場には、インクジェットのカラーの作品や実験的な作品が展示されており、写真家としての幅の広さがよく分かる展示なっている。

「宇宙への郷愁」の会期は、9月13日〜11月20日まで。

ユージン・スミスのプリントの美しさ

ジョニー・デップが製作・主演するユージン・スミスの映画が9月23日から公開される。「MINAMATA―ミナマタ―」という作品で、タイトル通り、水俣病がテーマだから、水俣を始めとする日本が舞台だ。

ユージン・スミスは20世紀を代表する写真家だ。 第二次世界大戦の取材や多くのヒューマンドキュメントの写真を撮った人だ。彼がどのようなきっかけで水俣病に興味を持ったのかわからないが、彼の写真によって多くの人がその悲惨な状況が伝わり、事態の解決に貢献したのは事実だと思う。

その水俣病と関わってる時期のユージン・スミスをジョニー・デップが演じると言うことで、多くの人に環境問題についての改めて認識させる映画だ。といってもまだ見ていないからよくわからないのだが。

その映画に合わせて、時々出かける御茶ノ水のバウハウスでユージン・スミスの写真展が行われているので出かけた。

最初に書いておくと、この写真展にはユージン・スミスの水俣の写真集は展示されていない。水俣の作品については、被害者のプライバシー保護のために、ユージン・スミスの意思で展示が行われなくなっていると聞いたことがある。

バウハウスの展示では、ユージン・スミスのキャリアを通じての様々なシリーズが展示されており、写真家としてのユージンスミスの全体像が見られる展示だ。今まで印刷物などで見た有名な作品がたくさん含まれており、非常に見ごたえのある展示だった。

ユージンスミスのプリントを見たのは今回が初めてだった。一言で言うとすごいプリントだ。銀塩の粒子が美しく、ハイライトから漆黒までトーンが非常に美しい。同じようには焼けないが、早くプリントを再開したいと思った。

最近はコロナ禍で、ギャラリーに出かけていないのでモノクロの美しいプリントを見るのは久しぶりだった。しかもユージン・スミスで、その有名な作品が並んでいる。いつまでも見ていたいような気持ちになる。しかも、平日の昼間だったので私以外に誰も会場にはいなかった。

バウハウスはいつも無料で展示が見られるのだが今回は入場料が800円。しかし、内容から言うともっとお金を取ってもいいような気もする。

販売価格については担当者にお尋ねくださいと書いてあったので、興味本位に聞いてみると多くのの作品は200,000円と言う事で、一部、有名な作品については300,000円と言うことだった。1番高い作品について話を聞いてみると500,000円。確認をしていないが、有名な硫黄島の爆発のシーンの写真がサイズも大きく、多分それが500,000円の作品だと思われる。

戦争の爆発のシーンなので、家に飾るのは少し気分的に受け入れ難いが、プリントの美しさだけ見ると手に入れてみたいものだと思った。ユージン・スミスで有名な作品で500,000円と言うのはお買い得の気もする。11月まで展示が行われておるがいるが、すべて一点なので販売された場合にはもう手に入らない。多分映画が公開された後は、たくさんの人が訪れてかなりの確率で売れていくのだと思う。

今まで買ったことのあるプリントはすべて100,000円以下なので、200,000円と言うのは写真で払った金額よりはるかに高いが、ユージン・スミスの作品であり、かつプリントとして美しいと言うことを考えると決して高いものだと思わない。とは言え、写真関係で購入を検討しているものがありそちらは諦めるかどうかを考え中だ。

窓に展示されている写真は、シュバイツアー博士

詰め替えフィルムのパトローネ

環境問題に配慮して止めていたフィルム現像を再開。シルバーグレイン社の薬品は毒素が低いので、家庭で利用しても良いと勧められたからだ。未現像のフィルムがブローニを4本現像。数年ぶりなので、メモを確認しながらの現像だった。

フィルム現像ができるようになったので、冷凍庫に保存中のKodakの100f長巻を、パトローネに詰め替え。

詰替え用パトローネ購入はプラスティックのものもあるが、どうも頼りなくて金属のものが好きだ。カメラもパトローネも金属が良い。昔、スキーメーカーの仕事をした時に、スキーブーツは全部プラスティックでも強度的には問題ないが、レーサーが極限のスピードですべる時に、プラスティックだと思いきり踏み込めないといけないので、競技レーサー用のスキーブーツだけは金属で補強してあると聞いた。単純に、金属を強度のためではなくて精神的な安心感のために使っているというのだ。それと同じでプラスティックのパトローネだと光が洩るような気がする。実質ではなく、あくまでも感覚。人間はこういう感覚で生きているのだな。

でも実際は金属であるが故に変形してしまったりして、本当はプラスティックの方が良いのかもしれない。それから、パトローネの口のテレンプと言うビロード状の部分が痛んでくるので、これが問題だから、金属かプラスティックかはあまり問題ではない。

Kodak長巻用の34mのフィルムは前は4,500円ほどで売られていた。これで36枚が19から20本作れるので価格的には普通のフィルムに比べて安かった。しかし、Kodakはすでに長巻から撤退。今は、イルフォードやケントメアの長巻が12,000円から16,000円ほど。ずいぶん高くなった。

この長巻も、シルバーグレイン社の薬品を知るまでは使えなかった。自分で巻いたフィルムは、現像をしてくれるところがないからだ。シルバーグレイン社の薬品を使うことでようやく長巻の消化に入ることができる。値上げの前に購入して、まだ3箱もあるからだ。

ところで、パトローネは、ドイツ語らしいが、アメリカから買う時にはカートリッジcartridgeで注文している。でもフィルムの容器をカートリッジというのはどうも座りが悪く、パトローネ以外にはありえない。言葉というのは慣れが大事で簡単には換えられない。小型カメラはライカが発明して、正確にいうと当時の「ライツ」で働いていたオスカー・バルナックさんが発明して、きっと用語はドイツ語が多いのだろうと思う。テレンプもきっとドイツ語なのだろうな。

眺めること、見ること、見えること

見ていても何も見ていないというのが普通だ、私の場合には。目は開いていても普通は何も見ないで歩いていることが多い。それが証拠に、知り合いから声をかけられたり、一緒に歩いている人に誰それとすれ違ったと言われて、何も覚えていないことが良くある。つまり、ただ眺めているが、何かを見ている訳ではないようだ。簡単に言うと、ボーっとしているということだろう。単に眺めているだけでは、何かを見ている訳ではない。

意識して見ることで初めて見ることができるようだ。でも本当に何かが見えるのは、もっと意識して見ないと何も見えてはいない。見るということは目の機能ではなく、脳の機能であることは知られている。たとえば網膜には視神経が集中して脳につながるための盲点があり、そこは何も見えてはいないが、脳全体で視覚を統合・補正して盲点が無いように見させているそうだ。あるいは、網膜の残像を脳で再構成して動作しているように見えるということもそうだ。きっともっとたくさんの事例があるのだろうが良くは知らない。

写真でいつもピントが気になるが、写真でピントが固定してしまうとピントの位置が大きな意味を持つ。人間の目ではピントはどこにでもすぐに合うようになっているし、脳で再構成しているから違和感は無い。写真になるとパンフォーカスで全体にピントが合っているのも、被写界深度が浅くて1点だけにピントが合っているのも、どちらも不自然というか不思議に見える。もちろん写真の表現なので、人間の見えるように撮れないし撮れていなくても問題はない。

日本ではボケが尊ばれて大口径のレンズを開放で使って浅い被写界深度の写真が好まれる。でも開放でレンズを使うと、どうしてもピントは甘く柔らかになり叙情的な雰囲気になるが、これも良いということなのだろう。最近まで柔らかい写りのボケの多い写真を量産していたが、このところはピントを深めにしようと努力している。でも夕方や夜はどうしても開放に近くなってしまい、柔らかくなってしまう。

なので写真で何かを見ようとしているわけではなく、レンズを通してボーっと眺めているということなのだ。眺めて、それが美しいと思えれば何が写っていても関係ないと思っている。一時、何も明確な形のあるものを避けてできるだけ抽象画に見えるようなものばかり撮っていたが、周りの人から意味が分からないと言われて凹んだが、そんなぼんやりとして情景が私の世界の認識なのだろう。

そんな世界を写真にしたら、ちょっと良いと言われて嬉しくなった。

写真の瞬間

写真史に残る有名な写真集はいくつかあって、その一つはアンリ・カルティエ=ブレッソン の「決定的瞬間」だ。英語のタイトルはThe Decisive Momentで直訳。ただしフランス語のオリジナルのタイトルは「逃げ去るイメージ」で瞬間は入っていない。しかし、逃げ去るという言葉には短い時間のニュアンスは入っている。つまり、ブレッソンがとらえたのは現実の瞬間だということだ。

写真は瞬間を写すということになっていて、人間の目では捉えない瞬間を固定できるという効果があるとされる。有名な事例はスピードを出して走る馬の脚が常に地面についているかどうかについて懸賞が出て、それを連続写真を撮って脚が地面についていない瞬間があることを証明したということがあったらしい。

しかし、それは瞬間だろうか。数学でいう点や直線が現実世界に実在しないように、概念的な瞬間は写真では写されていない。写っているのは何百分の一だったり何千分の一だったりする、かなり短い時間が写されているに過ぎない。上の写真は三十分の一のシャッタースピードで撮られているので、その短い時間に車は動き、人も少し動いている。ここに写っているのは瞬間ではない。もっと早いシャッタースピードでも八千分の一とかだから、厳密な意味では瞬間ではない。

瞬間らしいものを撮ったのではない写真で思いつくのは、杉本博司の「劇場」のシリーズとアジェのパリの写真だ。アジェの写真は当時のフィルムの感度の問題で長い時間の露光をしたので動く人は消えてパリの街角だけが写った。杉本さんの「劇場」は映画を一本撮るために2時間露光しているので、映画は単なる白い画面になり人影は完全に消えている。アジェの写真は瞬間の概念とは関係なく街を撮ったものだが、杉本さんの「劇場」は瞬間ではない時間の長さを意図して撮られた時間が写る写真だ。

そういえば、伊島薫の「一つ太陽 – One Sun」も一日かけて太陽の動きを撮った写真だから、瞬間ではない写真を撮ったものだ。無知なゆえに知らないだけで事例はたくさんあるのだろう。

カメラ断捨離と残したカメラ

カメラの断捨離を行った。大型と小型の防湿庫を持っているが、それぞれカメラがぎっしりで取り出すのも大変な位だった。ステイホームで家の中を片付けたりして、防湿庫に行き着いたと言うことだ。

手順としては、レンズマウントを減らすと言うことを行なった。35mmでは、このためにニコンFマウントとライカMマウント以外のカメラはすべて整理の対象にした。中判も整理して、ハッセルブラッドとローライフレックスのみ残した。古いデジカメは当然のことながらゴミだ。

ニコンとライカに関しては、使用頻度を考えて使わないものと、愛着がわかないものは処分の対象だ。

まず、ニコンでは、FマウントとではないニコンS3は、長い間使っていたがさよならだ。Fマウントでも、ニコンFとF2ももう使わないという判断だ。残したのは、愛着のあるS3と、よく使うF100だけとなった。

ライカでは、LマウントのバルナックFIIIは最初から整理の対象だ。キャノンのLマウントも同様。ライカMマウントでも、あまり使わなし、あまり好きでないM5とCLは残さなかった。今後使う可能性はほとんどないからだ。

同様に、中判で整理したカメラは、最近ほとんど使っていなかったMamiya 7IIとフレクサレット。

オリンパスやキャノンのたくさんのフィルムカメラや、アダプターを介して使ったその他のレンズマウントのレンズも手元からなくなった。

防湿庫の中がすっきりして、カメラを取り出すのも楽になった。結局残ったのは、ニコンがF3とF100だけ。ライカが、M3、M4、M6となった。中判では、ハッセルブラッドとローライのみ。これに、デジカメではライカM-PとフジのX100Fと言う体制だ。

このところ旅行にフィルムカメラを持っていく場合でも、ローライが中心になっているので、35mmのフィルムカメラの使用は極めて稀となってしまった。通っていた市ヶ谷のカロタイプも営業してない日が増え、自宅の暗室があまり稼働させていないこともあり、プリントをしていないことも影響している。

個人的にも2019年まで忙しい日々だったことも、大きかったかもしれない。何かに追いかけられているように、のんびりと写真を撮っている雰囲気ではなかったのだ。これから、写真をもっと撮ろうと思っているところに、コロナ禍で旅行もままならない。

整理の時に、防湿庫からカメラを出して、屋上のテーブルに並べて見てみると、今回残したカメラでも、もしもう1段厳しく選択をすると、脱落するものがある。どうしても残したいものを考えると、最終的に残るのはニコンF3、ライカM3、M4とローライフレックスだけになるだろう。

今使っているデジカメは、この数年のうちにはゴミになるだろう。しかし、フィルムカメラのこの4台だけはきっと手元に残っていくはずだ。

愛着のあるM3とM4だが、撮影に使う時には、M4に軍配が上がる。フィルムの交換が、M3はやはり面倒だ。M4から改良されたフィルムの「ラピッド・ローディング・システム」は簡単だし、巻き上げも楽だ。しかし、M3とM4の価値は、撮影だけでなく、機械としての美しさがあるからこれだけは、どうしても手元に置いておきたいと思っている。

Googleフォトの無制限終了と写真のクラウド保管

スマホの写真を保存しているGoogleフォトの容量無制限が5月中で終了だ。5月中は、「元のサイズ」だと、最大15GBまで無料だが、「高画質」では無料で無制限に使える。だが、6月に入ると「高画質」でも、最大15GBまでしか無料で保存できなくなる。

Googleフォトに保存しているのは、主に、このブログで使っているようなiPhoneで普段撮っている写真で、カメラで撮った写真は保存していない。

この機会に、何台ものHDDに溜まっている古い写真をGoogleフォトにアップロードしている。古い写真のバックアップが目的だ。ようやく、保存すべき写真は、あらかたアップロードが済んだ。デジカメの初期の古い写真は、jpegが多く、サイズも小さいから「高画質」でも十分だ。

今までハードディスクを何台も使ってバックアップを取ったりしてきている。しかし、これが、限界だと今回、写真を探して見て思った。時期も機会も違う写真が六台ものHDDに散らばって、探すことも難しい。普段から整理が悪いことの結果だ。この機会にカメラで撮った写真のRAWデータもクラウドで管理することを検討し始めた。

どうせ、何年か毎に、HDDを、最近ではSSDを買って、データをコピーしてきた。それも、一台では不安なので二台にコピーしてきた。「台」と書いたが、昔のHDDと違って最近はSSDで、大きさも昔のマッチ箱のようなサイズだ。場所は取らなくなったが、これが何台もあると、どこに何が入っているか分からなくなる。Googleフォトのように時系列に一覧することができると写真を探すことも便利になる。

今回の作業をきっかけに、クラウドの有料プランへの移行を考え始めている。いま契約しているのは、写真保存の目的ではなく、仕事で使ってきた資料や、大学の授業の準備のためだが、EvernoteとNotionがある。これは、どちらも写真の保存の用途に適しているのか、よく分からない。もう少し使い方を研究しなければいけないだろう。

それから、AmazonPrimeの契約をしているので、AmazonPhotosは使える。ただ、インターフェースが良くないのか、一度使って放棄している。Amazon Driveに資料を保存しないから、EvernoteとNotionの契約をしているほどだ。Evernoteは10年以上、Notionは昨年から使い始めた。Notionを使い始めたのは、大きなサイズの動画の保存ができるからだ。インターフェースがEvernoteより良いので、基本的にはNotionに移行しようかと考えている。この両方にお金を払うのは無駄だ。

だから、クラウドを検討する前に、すでに契約しているAmazon Driveや、EvernoteとNotionを使ってみると言う選択肢がある。

これが写真の保存に向いていないとすれば、写真専用として、他のクラウドサービスだ。Googleフォトの有料、iCloud、Dropbox、AdobeCCフォトプランが候補になる。

写真を保存すると言うことになると、今のHDDやSSDは2Tだから、最低でも1Tの契約をしなければいけない。そうなると、年額は以下の通り。

Googleフォト 2TB: 13,000円

iCloud  2TB: 15,600円

Dropbox  2TB: 14,400円

AdobeCCフォトプラン 1TB: 23,760円

価格的には、Adobeが脱落に見えるが、すでにPhotoshopを使って、支払いをしているので、こちらに切り替えると言う方法もある。ただし、1Tだ。

金額的は、Googleフォトが少し安いが、家族から、iCloudを有料に切り替えたいと言う要望が出ているので、それと合わせて、iCloudと言う手もある。パソコンもスマホもAppleだから、使い勝手も良さそうだ。

こう書いていると、だんだんiCloudに向かっているが、もう少し考えてみよう。それに、2Tと言っても今までの写真を整理しても、すぐに容量がいっぱいになる。やはり、SSDを併用して、残しておきたいRAWデータのみをクラウドに保存する形式になるだろうか。

デジタル写真になって、同じようなカットをたくさん撮っている。フィルムの時代にも、フィルムに現像やプリントで傷がつく可能性を考えて、2枚同じカットを撮るようにしていた時代からの癖だ。だから、SSDを併用して、なるべく早く写真を整理して、必要な写真だけをクラウドにあげるようにしなければいけないだろう。

ということで、まず、Amazon Photosを試してみること、EvernoteとNotionが写真の保存と一覧に適しているどうかの確認が最初だ。どちらもうまくいかないようなら、iCloudかな。

「イノベーションのジレンマ」とカメラ

授業で学生にクレイトン・クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」の説明をしていて、カメラの画素数競争のことを連想した。適切な事例で説明しようとして、様々な商品のことを考えたら、その時にカメラのことが思い浮かんだのだ。

授業でカメラを連想するというのも、趣味の話をしているのでどうかとも思う。学生には、ほかの商品の事例で話をした。

画素数競争を思いついたのは、たまたまライカエム11の噂を見たからだ。それによれば、Lieca M11の噂の記事を目にしていたからだ。

Leica Rumorsの記事によれば、M11の発売日は2021年11月11日、撮像センサーは、裏面照射型の3,600万画素、裏面のプレートは外れない、ボディ内手ぶれ補正無しということだった。

裏面のプレートは外れないというのは、ほかのカメラのように蝶番のついたカバーでバッテリーやメモリーを出し入れ剃るのだろうか。今まで慣れているプレート式が好ましいが、使い始めたらすぐになれるのだろう。手ぶれ補正n無しの姿勢が嬉しい。

画素数は、3,600万画素は少し大きい数字だが、仕方のないことなのだろう。Lieca M10Rが4,000万画素まで行っているので、少し抑え気味ということか。最近の他社のカメラに比べて画素数が少ない。そういう競争にライカが乗らないというあたりにライカの主義が感じられる。

このところ、高画素機競争のように、高画素のカメラが発売されている。Fujiは中盤だが、GFX100が1億200万画素、ソニーのα7R IV ILCE-7RM4が6,100万画素、キャノンのEOS 5Ds Rが5,060万画素、ニコンのZ7が4,575万画素と、高画素機がたくさん登場している。個人的には、3,600万画素でも大きすぎて、今使っているM-Pの2400万画素で十分と感じている。画質に問題はないし、今より大きなサイズになるとパソコンの処理能力やストレージに問題が出そうだ。

それから、自分の撮影スタイルだと、撮る時間帯が、夜明けの頃と夕方から夜にかけての時間帯なので、同じフルサイズのセンサーでも、高画素になると画素1個あたり受光面積は小さくなってしまうので、あまり大きいものを望んでもいない。今の2,400万画素程度がちょうどいいと思っている。と言っても、M11が出てもすぐに買う予定はないのだが。

この高画素競争と言うのは、まさにクリステンセンの言う「イノベーションのジレンマ」だ。各カメラメーカーが持続的なイノベーションを続けた結果、高画素に行き着くのは当然のことだ。より高スペックのカメラを目指して開発が続く。そして、あまりにも高スペックになって、結局便利なスマホのカメラ負ける。この場合にはスマホのカメラが破壊的イノベーションだ。実際に使っているiPhone11proのカメラは驚くほど写りが良い。これに負けているのが今の状況だと思う。

フルサイズのセンサーのカメラの適正画素数が今のままで良いと言うつもりはないが、どこかで歯止めをかけないとカメラそのものが一般の人から遠いところに行ってしまうように思える。これこそ、「イノベーションのジレンマ」だと、だんだん思えてきた。その時授業の中でカメラの話をすればよかったのだろうか。

江の浦測候所

杉本博司さんが開設した江の浦測候所をようやく訪れた。2017年10月オープンだから、3年半経っている。ずっと忙しかったし、コロナ禍のために訪問を延ばしてきた。

家人が行くと言うので、車で行こうとしていたが、前日になって体調が悪いと言うことで、結局一人で行くことに。ゆっくり写真を撮ることができたので、その方が良かった。一人で行くことになったので、新宿からロマンスカーで小田原に行き、そこから東海道線に。根府川から歩くと40分と言うことだったので、行きは無料バスを利用して、帰りは歩いて帰ってきた。江の浦測候所から、根府川漁港まで降りて、地魚を食べることができて、非常に満足な日帰り遠足となった。

好きな写真家というと杉本博司が、まず出てくる。一番最初に出会った「海景」のインパクトは大きかった。最初に写真家tpして知ったが、今は写真家の枠を大きく超える現代美術アーティストとして認識している。

写真だけで言っても、いくつもあるシリーズのコンセプトが明確で、コンセプトが先にあり、それから作品制作に入ると言う点で、アーティストと言う言葉がふさわしい。ニュートンによるプリズム実験の再現を目指して、土蔵の白壁に映る光をポラロイドで捉えた作品のOpticksのシリーズを京都に見に行きたいと思ってるが、コロナ禍で行けなかった。

それで、江の浦測候所だが、ここは、杉本博司が集めた日本の文化財を展示する場所のように見えて、展示しているのは、そこから見える空と海だ。まるで、「海景」のように少し湾曲した水平線が見える。訪れた日は春の快晴だったので、真っ青な空と海の光が美しい。

できれば、夜明けか夕暮れに居たい場所だが、開館時間や東京との距離を考えると難しい。名前に付いているように「測候所」として、海と空の光をみる場所なのだろう。

それは、建築にも現れていて、冬至の日の出が差し込む入り口などが配されている。

元はみかん畑だったと言うが、今でも建築物がないエリアにはみかんの木が残されており、実際にみかんも売られて居た。

雨の日は大変そうだが、できれば曇りの夕方にでもまた行って見たい。

川内倫子「M/E」を見に行く

川内倫子の日本橋三越での展示を最終日に見に行ってきた。

今回の展示は、アイスランドで撮られたM/Eと言うシリーズ。M/Eは、”母なる大地”=「Mother Earth」と言うことらしい。アーティストを単略的に理解するのはいけないが、結婚・出産をしたことと関係があるのだろうか。

作品は、天地が120センチもある大きなもので、記載はないが、多分前回のHaloと同じくデジタルでとられているのだろう。縦位置の写真が中心。氷河の氷に当たった光などは初期のイメージを彷仏とさせる。それは、川内倫子らしい作品だ。やはり、川内倫子は光のアーティストだと思う。

同時に前回のHaloのシリーズの作品も並んでいる。こちらは、横位置が多い。

Haloのシリーズと今回のアイスランドを見て思うのは、こちらの勝手な思い込みだが、川内倫子には海外ではなく日本の日常の中に見られる普段気づかないようなイメージを見つけてきてもらいたいと言うこと。

アーティストには失礼な話だが、初期のイメージに引きずられているのか、アイスランドやブライトンといった自然を対象にしたような写真には、川内倫子らしさが感じられない。

Haloのシリーズの祭りや鳥、空と言うモチーフは好みと言えば好みなのだが、私が川内倫子に求めているものとはちょっと違う。

求めていると言うのも失礼な話だが、日常生活の裏に隠れている様々なイメージを見つけて提示するのが川内倫子のアーティストつの能力だと思っているからだ。

そういう意味で、以前の「あめつち」もあまり好みではない。しかし多分こういうのは、変化しているアーティストにとって初期のイメージを求められても困ると言う事なのだろう。

しかし、大抵の場合は、ファンと言うのはそういう人が多いものだ。思い込んだイメージを常にアーティストに求める。勝手なものだ。

実は三越のギャラリーに入ったのは初めてで、様々なコーナーで何人かの作品が展示されていた。もちろんこれは販売のためのギャラリーなので、すべて値段がついて売られているものだ。ちなみに川内倫子の作品はフレームがついて100万円と少し。どうしても欲しいと言う作品ではないが、金銭的にも難しいのは事実だ。海外でも人気のある川内倫子だから、エディションがない作品ではあるが100万円と言うのは、もしかしたら、お買い得なのかもしれない。

日本橋三越を出て、陽気も良かったので、ぶらぶら歩いていると日本橋桜通りまで出てきた。その通りでラグビーのイベントをしてから、もう5年ぐらい経つのだろうか。桜はまだ満開で、ビルの窓に反射した光が美しかった。