「ハッピーエンド通信」発見

本棚を整理していて「ハッピーエンド通信」を見つけた。2冊しかないが、もっと持っていたはずだ。そもそも記憶では表紙が4色カラーではなかったと思っていた。何度も引っ越しを繰り返しているので、まだ持っていたのは不思議だ。大学を卒業した頃に、先輩がもっと持っていたのを見て、自分でも買い始めた。

この頃は、常盤新平訳のアメリカの小説をたくさん読んでいた。アーウイン・ショーの「夏服を着た女たち」とかそういう類だ。

村上春樹も寄稿者

「風の詩を聞け」を読んだのと「ハッピーエンド通信」を買ったのがどちらが先か思い出せない。「ハッピーエンド通信」で見た村上春樹の小説を買って読んでみたというような気もする。「風の詩を聞け」は、それまで好きだった日本の文学とは違う世界に痺れていた。無国籍という言葉もよく使われたが、無国籍などという野暮な言葉ではなく、まるでどこか遠い星の話のように新鮮だった。それまで読んだどの日本の小説より洗練されていると感じた。その村上春樹が寄稿していたことも「ハッピーエンド通信」を特別にしている。きっと、千駄ヶ谷で経営していた「ピーターキャット」のカウンターで、「ハッピーエンド通信」の原稿を書いていたのかもしれない。

アメリカの文化についての情報は少なかった

この雑誌を中心で、編集し原稿も書いていたのは、常盤新平、川本三郎、青山南の各氏。それぞれが、アメリカの文学や映画文化に詳しい人たちで、その人たちが伝える当時のアメリカの最新のニュースが新鮮だった。ポパイは創刊されていたが、どちらかと言うとファッションやスポーツが中心で、文化的な情報は映画程度で少なかった。そういうことで、当時のアメリカかぶれの私にとっては、実に良い情報源でずっと買っていた。今と違って普通のメディアでは、アメリカの新しい情報など手には入らなかった。今ならネットを通じて何でもアクセスできるが、そのようなものもなかった。あったとしても当時の私は英語でものを読む気はなかっただろう。

紙質の良くない雑誌の小さな記事に驚いたり、仲間との会話に入れて知ったかぶりをしていた。

考えてみれば、「ハッピーエンド通信」やアメリカ文学などを通じてアメリカへの憧れが高じた結果として、1989年にアメリカの大学に留学することになる。しかし、これを買っていた頃は英語で情報を読む気もなく、仮にネットがあってもアメリカのサイトにアクセスをしなかったかもしれない。その後、結婚した妻の英語学習が伝染してついには留学までしてしまう。

原因か結果かわからないが、どうも、この頃の「ハッピーエンド通信」を読んでいることが関係している。

発掘した2冊

手元にある1980年3月号は、ミュージカルの「ヘアー」が映画化されると言う表紙で、村上春樹がスティーブン・キングについて書いている。面白いのは、その表記で、スティフン・キングになっている。それは、誰だという感じだ。その記事のなかで、村上春樹は”The Stand”を紹介しているのだが、調べてみると”The Stand”は1978年に発表されているので、この頃に日本で翻訳が出てたのかもしれない。当然、この頃には「キャリー」や「シャイニング」が映画にもなっていて、有名な作家だったから知らない人はいないのだが、今のあの膨大な作品群と名作の数々で偉大な作家になる前の段階だ。

もう1冊は1980年7月号で、アメリカの雑誌カタログと言うタイトルで様々なアメリカの雑誌が紹介されている。この号に筑紫哲也が、ウォルタークロンカイトの後任にダン・ラザーが決まったと言う文章を書いている。これが時代を感じさせる。

とりあえずこの2冊を読んで1980年を再体験してみよう。それから他の「ハッピーエンド通信」がないか探してみるが、もしかすると実家に送った大量の書籍に紛れているのかもしれない。やはりこの頃よく買っていた「ユリイカ」のバックナンバーを大量に送ったのを覚えているので、捨てられない雑誌ばかり一まとめに送っている可能性もある。

ともかく、2冊の「ハッピーエンド通信」で40年前を追体験した。