「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」

藤原新也と言えば私の世代だとシルクロードだ。そんな写真を見て初めて写真というものを意識した。シルクロード、メメントモリ、東 京漂流みんな好きだった。そんな意味で写真の力を知ったのは多分、藤原新也だ。特に普通のサラリーマンとしては、シルクロードがきっかけ起こったあの事件はある意味衝 撃だった。誰かに強い誰かに頭を下げ続けなくても生きていけるほど自由になれる可能性は藤原新也が教えてくれた。でもできなかったけれど・・・あのシリーズで人間は死んだら犬に食われるほど自由だと教えてくれたのだ。 「ヒト食えば、鐘が鳴るなり法隆寺。」今でもよく思い出す。理解はしたけど勇気がなくて実行ができなかったのは写真の力ではなくて自分のせいだ。

十数編の短編からなる本書は、冒頭の「尾瀬に死す」ら終編の「夏のかたみ」まで人間の生きると行くことを見つめた小説だ。芸大をやめて油絵を捨ててカメラを 持ってインドにいったいきさつをよくは知らないのだが、この短編集のどの作品にあるような生きるということを考えたのだろう。小説を書く写真家と言えば、 藤原新也でありちょっと若いと小林紀晴だが、このふたりはどこがちがっている。才能があり、精神的は自由をもっているということなのかもしれない。才能も なくいつも何かの奴隷のような私など想像もできない精神世界があるのだろう。

「死というものが人の命を捕えるのではなく、人の命が死を捕えるのだと」というのは登場人物のせりふだが、、よくは理解できないのだがなんとなく感じはする。忘れないようにしたい言葉だ。

それから、この本でしったニコラ・ド・スタールを今朝からネットで検索してみていたのだが、とても好きな絵だ。この画家を知ったことがおまけの喜びだ。もう少し資料を集めてたくさんにみたい。国立西洋美術館に所蔵されている絵があるそうなので近日中に行ってみたいものだ。

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